前半を直して見なければならなかつた。みのるの自分の藝に對する正直な心が、自から打捨《うつちや》つた作をその儘明るい塲所へ持ち出すといふ樣な人を食つた考へに中々陷らせなかつた。みのるは何時までもその前半を弄《いぢ》つてゐた。
「君はいつまで何をしてゐるんだ。」
 それを見付けた義男は直ぐに斯う云つてみのるの傍に寄つて來た。
「到底駄目だから止すわ。」
「駄目でもいゝからやりたまへ。」
「私は矢つ張り駄目なんだ。」
 みのるは然う云つて自分の前の原稿を滅茶苦茶にした。
「こんな事はね。作の好い惡るいには由らないんだよ。それは唯君の運一つなんだ。作が駄目でも運さへ好ければうまく行くんだからやつて終ひ給へ。ぐづ/\してゐると間に會やしないよ。」
 義男はみのるの手から弄り直してる前半を取り上げてしまつた。それを見たみのるは、
「書きさへすればいゝ?」
 斯ういふ意味をその眼にあり/\と含まして、義男の顏を眺めた。その心の底には何となく自暴《やけ》の氣分が浮いてきた。唯義男の強ひるだけのものを書き上げて、さうしてそれを義男の前に投げ付けてやりさへすれば好いんだといふ樣な自暴な氣分だつた。
「私が若し何うしても書かなければあなたは何うするの。」
「書けない事はないから書きたまへ。」
「書けないんです。氣に入らないんです。」
「そんな事はないからさら/\と書き流してしまひたまへ。」
「氣に入らないからいやなの。」
「惡るい癖だ。そんな事を云つてる暇に二枚でも三枚でも書けるぢやないか。」
 義男は日數を數へて見た。規程の紙數までにはまだ二百餘枚もありながら日は僅に二十日にも足りなかつた。義男は何事も一氣に遣付ける事の出來ない口ばかり巧者なこの女が、※[#「赭のつくり/火」、第3水準1−87−52]《い》り豆の豆が顏にぴんと痛く彈きかゝつた樣に癪にさわつて小憎らしくなつた。
「成程君は駄目な女だ。よし給へ。よし給へ。」
 義男は然う云ふと一旦取り上げた原稿を本箱から出してきて、みのるの前にぱら/\と抛り出した。その俯向いた眼にいつにもない冷めたい蔭が射してゐた。
「止せば何うするの。」
 みのるは机に寄つかゝつて頭を右の手で押へながら男の顏を斜《なゝめ》に見てゐた。義男の顏は、眼の瞬きと、蒼い顏の筋肉の動きと、唇のおのゝきと、それがちやんぽんになつて電光をはしらしてゐた。
「別れてし
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