てまるでシンガポールかコロンボか、そういう植民地のような印象を受ける、新聞をちょっと読んでも外来語があとからあとへ出てきて何だか恥かしく思うというようなことを述べた。記者はあまり面白くもない感想だといった顔をしながら万年筆を走らせていた。しかし足かけ九年ぶりに日本へ帰ってきた当時のことであるから、故国の文化に対する私の印象はかなり新鮮なものではあったと思う。それ以来、私は筆をとっても特に止むを得ない場合のほかはなるべく外来語を用いないことにしている。
一昨年の夏のことであった。夕方ぶらりと上野公園から根岸の方へ歩いて行ってみると「根岸盆踊」という広告が方々に貼ってあった。やがて広場に出ると囃子《はやし》のやぐらや周囲の踊場が提燈《ちょうちん》や幕で美しく飾られていた。踊はまだ始まっていなかったが老若男女がかなり集まっていた。私には少年時代に父に伴われて有馬温泉の近在で見た盆踊のことが懐しく思い出された。するとすぐわきに「蠅取《はえとり》デー 七月二十日」という掲示がチラリと目についた。この貼紙一つで情調がすっかり破られてしまった。「デー」は如何《いか》にも醜悪である。沢瀉久孝《おもだ
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