р凵@school, Examiner, 1828.
    Sieveking, Dandysm and Brummell. The Contemporary Review, 1912.
    Otto Mann, Der moderne Dandy, 1925.
 {10}Nietzsche, 〔Jenseits von Gut und Bo:se〕, IX, Was ist vornehm? 参照。
 {11}Nietzsche, Also sprach Zarathustra, Teil I, Von alten und jungen Weiblein.
 {12}α ποτ’ ειδεν ημων η ψυχη(Platon, Phaidros 249c).[#最初のαに帯気+鋭アクセント。ειδενのιに平息+曲アクセント。ημωνのηに帯気、ωに曲アクセント。単体のηに帯気。ψυχηのηに鋭アクセント]
 強調はημων[#ηに帯気、ωに曲アクセント]の上に置かれなければならない。ただしαναμνησισ[#最初のαに平息、3文字目のαに鋭アクセント、σはファイナルシグマ]はこの場合二様の意味で自己認識である。第一にはημων[#ηに帯気、ωに曲アクセント]の尖端的強調による民族的自我の自覚である。第二にはψυχη[#ηに鋭アクセント]と「意気」との間に原本的関係が存することに基づいて、自我の理想性が自己認識をすることである。
 {13}「いき」の語源の研究は、生[#「生」に傍点]、息[#「息」に傍点]、行[#「行」に傍点]、意気[#「意気」に傍点]の関係を存在学的に闡明することと相俟《あいま》ってなされなければならない。「生」が基礎的地平であることはいうまでもない。さて、「生きる」ということには二つの意味がある。第一には生理的[#「生理的」に傍点]に「生きる」ことである。異性的特殊性はそれに基礎附けられている。したがって「いき」の質料因たる「媚態」はこの意味の「生きる」ことから生じている。「息」は「生きる」ための生理的条件である。「春の梅、秋の尾花のもつれ酒、それを小意気に呑《の》みなほす」という場合の「いき」と「息」との関係は単なる音韻上の偶然的関係だけではないであろう。「いきざし」という語形はそのことを証明している。「そのいきざしは、夏の池に、くれなゐのはちす、始めて開けたるにやと見ゆ」という場合の「意気ざし」は、「息ざしもせず窺《うかが》へば」の「息差」から来たものに相違ない。また「行」も「生きる」ことと不離の関係をもっている。ambulo が sum の認識根拠であり得るかをデカルトも論じた。そうして、「意気方」および「心意気」の語形で、「いき」は明瞭に「行《いき》」と発音される。「意気方よし」とは「行きかた善し」にほかならない。また、「好いた殿御へ心意気」「お七さんへの心意気」のように、心意気は「……への心意気」の構造をもって、相手へ「行く」ことを語っている。さて、「息」は「意気ざし」の形で、「行」は「意気方」と「心意気」の形で、いずれも「生きる」ことの第二の意味を予料している。それは精神的[#「精神的」に傍点]に「生きる」ことである。「いき」の形相因たる「意気地」と「諦め」とは、この意味の「生きる」ことに根ざしている。そうして、「息」および「行」は、「意気」の地平に高められたときに、「生」の原本性に帰ったのである。換言すれば、「意気」が原本的意味において「生きる」ことである。



底本:『「いき」の構造』岩波文庫、岩波書店
   1979(昭和54)年9月17日第1刷発行
   1998(平成10)年12月4日第37刷発行
底本の親本:『「いき」の構造』岩波書店
   1930(昭和5)年11月20日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:鈴木厚司、かとうかおり
2000年5月29日公開
2001年6月27日アクセント分解対応版公開
2003年8月31日修正
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