烽ソじま》、やたら縞のごとく筋の大小広狭にあまり変化の多いものは、平行線としての二元性が明瞭を欠くために「いき」の効果を十分に奏しない。「いき」であるためには、縞が適宜の荒さと単純さとを備えて、二元性が明晰《めいせき》に把握されることが肝要である。
 垂直の平行線と水平の平行線とが結合した場合は、模様として縦横縞が生じてくる。縦横縞は概して縦縞よりも横縞よりも「いき」でない。平行線の把握が容易の度を減じたからである。縦横縞のうちでも縞の荒いいわゆる碁盤縞《ごばんじま》は「いき」の表現であり得ることがある。しかしそのためには、我々の眼が水平の平行線の障碍《しょうがい》を苦にしないで、垂直の平行線の二元性をひとむきに追うことが必要である。碁盤縞がそのまま左右いずれへか回転して、垂直線と四十五度の角をなして静止した場合、すなわち、垂直の平行線と水平の平行線とが垂直性および水平性を失って共に斜《ななめ》に平行線の二系統を形成する場合、碁盤縞はその具有していた「いき」を失うのを常とする。何故《なぜ》ならば、眼はもはや、平行線の二元性を停滞なく追求することができないで、正面より直視する限りは、系統
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