命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生き[#「生き」に傍点]る{13}のが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬《しょうけい》を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在[#「わが民族存在」に傍点]の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。
{1}Maine de Biran, Essai sur les fondements de la psychologie(〔Oeuvres ine'dites〕, Naville, I, p. 208)。
{2}Nietzsche, Also sprach Zarathustra, Teil IV, 〔Vom ho:heren Menschen〕.
{3}Verlaine, 〔Art poe'tique〕.
{4}ベッカー曰《いわ》く「美的なものの存在学は、美的(すなわち、芸術的)に創作する、また美的に享楽する現実存在の分析から展開されなければならぬ」(Oskar Becker,
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