y章の美しいラルジェットがコンスタンチア・グラコウスカに対する自分の感情を旋律サしたのであることを自ら語っている{7}。体験の芸術的客観化は必ずしも意識的になされることを必要としない。芸術的衝動は無意識的に働く場合も多い。しかしかかる無意識的創造も体験の客観化にほかならない。すなわち個人的または社会的体験が、無意識的に、しかし自由に形成原理を選択して、自己表現を芸術として完了したのである。自然形式においても同様である。身振《みぶり》その他の自然形式はしばしば無意識のうちに創造される。いずれにしても、「いき」の客観的表現は意識現象としての「いき」に基礎附けて初めて真に理解されるものである。
 なお、客観的表現を出発点として「いき」の構造を闡明《せんめい》しようとする者のほとんど常に陥る欠点がある。すなわち、「いき」の抽象的、形相的理解に止《とどま》って、具体的、解釈的に「いき」の特異なる存在規定を把握するに至らないことである。例えば、「美感を与える対象」としての芸術品の考察に基づいて「粋の感」の説明が試みられる{8}。その結果として、「不快の混入」というごとき極《きわ》めて一般的、抽象的
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