キ異点を有するものと考えられる。また、下品はそれ自身媚態と何ら関係ないことは上品と同様であるが、ただ媚態と一定の関係に置かれやすい性質をもっている。それ故に、「いき」と下品との関係を考える場合には、共通点としては媚態の存在、差異点としては趣味の上下優劣を理解するのが普通である。「いき」が有価値的であるに対して下品は反価値的である。そうしてその場合、しばしば、両者に共通の媚態そのものが趣味の上下によって異なった様態を取るものとして思惟《しい》される。たとえば「意気にして賤《いや》しからず」とか、または「意気で人柄がよくて、下卑た事と云《い》つたら是計《これっぱかり》もない」などといっている場合、「いき」と下品との関係が言表《いいあら》わされている。
 「いき」が一方に上品と、他方に下品と、かような関係に立っていることを考えれば、何ゆえにしばしば「いき」が上品と下品との中間者と見做《みな》されるかの理由がわかって来る。一般に上品に或るものを加えて「いき」となり、更に加えて或る程度を越えると下品になるという見方がある。上品と「いき」とは共に有価値的でありながら或るものの有無によって区別される。その或るものを「いき」は反価値的な下品と共有している。それ故に「いき」は上品と下品との中間者と見られるのである。しかしながら、三者の関係をかように直線的に見るのは二次的に起ったことで、存在規定上、原本的ではない。
 (二) 派手[#「派手」に傍点]―地味[#「地味」に傍点]とは対他性の様態上の区別である。他に対する自己主張の強度または有無の差である。派手《はで》とは葉が外へ出るのである。「葉出」の義である。地味《じみ》とは根が地を味わうのである。「地の味」の義である。前者は自己から出て他へ行く存在様態、後者は自己の素質のうちへ沈む存在様態である。自己から出て他へ行くものは華美を好み、花やかに飾るのである。自己のうちへ沈むものは飾りを示すべき相手をもたないから、飾らないのである。豊太閤《ほうたいこう》は、自己を朝鮮にまでも主張する性情に基づいて、桃山時代の豪華燦爛《ごうかさんらん》たる文化を致《いた》した。家康《いえやす》は「上を見な」「身の程《ほど》を知れ」の「五字七字」を秘伝とまで考えたから、家臣の美服を戒め鹵簿《ろぼ》の倹素を命じた。そこに趣味の相違が現われている。すなわち、派手
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