直ちに昔の通りになつて仕舞つた、谷中村は幸ひ切れ口が、泥の這入る所の口が明きましたから、八分通り泥を置きました、或は二尺置も或は一尺置いた所もある、三寸置いた所も一寸置いた所もある、平均三寸位置いて往つたゞらうか、さう云ふ譯でございまして谷中村堤内は一千町弱ございますけれども其中が眞ツ平で、少し高い所がございますがどうしても泥が入らなかつたから其處は復活しませぬが、低い所は却て宜くなつた、それでございますから元の通りには往きませぬが、前に十二俵半取つた所でも其半分六七俵は取れることになつて來た、是が三十五年の鑛毒地の變化でございます、今日此堤防を丈夫にしますと谷中村は大層幸福なことが出來る、何であるかと申しますれば灌漑用水が渡良瀬川から引込むとどうしても鑛毒水を入れますけれども、谷中村は中に灌漑用水の水が出る所がございますから、渡良瀬川の水を引入れないで十分餘りありますから堤防を完全にすれば鑛毒地の眞ン中に居つて鑛毒知らずの村になると云ふのです、サア之を取りたいのは無理でない。

     △人道の戰爭[#「人道の戰爭」に丸傍点]

 之は二十五年に陸奧宗光が農商務大臣をして居る中に調査したことで、之を祕密にして置いて、それから二十八九年の頃よりソロ/\此堤防を水に浸すやうにして置いた、此通り水浸しにされては堪らぬから村では村債を起して借金をして自から堤防を築かうと云ふ考を起させる、之を勸める、それから村々に借金が出來た、其借金の爲に利息を取られる、地價が大概低くなると云ふ歴史を拵へてあつて、卅五年に至て谷中村の堤防が切れた、幸だから此堤防の切れた口を塞がないで置けば人民は困つて來る、田地の直が安くなり地面の直が安くなる、總ての價が下落するから其下落する所を取るが一番宜いと云ふ結果が生じた、是で谷中村の如きは其分捕を將に半分以上實行されて今に其村を奪ひ取られつゝある所でございます、丁度之を旅順港にしましたら最早鷄冠山も松樹山も取られたと云ふ場合か知りませぬ、併ながら人道の職[#「職」に「〔戰〕」の注記]爭はああ云ふ戰爭と違ひますから、且此道に當る有志なるものは、老ひたりと雖もステツセル[#「ステツセル」に傍線]を氣取る積りはありませぬ。(拍手起る)

     △コツプを飮むのでは無い[#「コツプを飮むのでは無い」に丸傍点]

 序に是非まだ御訴へ申して置かなければ
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