、段々之を調査しますと八百間許りの間の堤防の波の打たれた如く見へるのは土木吏が鍬で切り崩した、波除けの柳を切り、太い所を削つて細くした、其跡を波に打たしたから大層波の荒い樣に見へる、之は何時何の爲に切り落したと云ふと工事の出來が惡いから拵へ直すと云つて切り落した、それは七月十三日迄の仕事で、七月半に至つて洪水の眞最中になつて堤防を切崩した、七月十三日になつて切崩して居る中に洪水が來て土木吏が逃げて仕舞つた、それ切り形を見せない、其後とで東京から參つた御方に見せたり田中正造なども波が荒いと云つて欺された、内務省の役人其他農商務省の役人が之を見ると如何にも之は沼の波が荒い爲に容易な金ではいかないと思ふ、さう云ふ風に見せました、それで三十八年の春到底いかぬが村を潰すのも如何にも殘念なことだから、もう一度嚴重に調査をしてどれ丈の金を掛ければ此谷中村を潰さないで此堤防を防げるかと云ふので内務省から役人も往き、地方の技師と調査し直して幾ら掛けたら宜からうと云ふことを調査しました、所が百二十萬圓掛ると云ふ調査です、百二十萬圓掛ければ此堤防が安全だ、併ながら百二十萬圓掛け放しではいかぬ、年々六萬圓宛修繕費が必要だ、斯う云ふ調査を拵へてさうして之を内務大臣に見せた、内務大臣驚いた、時は恰も戰爭中である、戰爭中タツタ一ヶ村を防ぐ堤防を拵へるに百二十萬圓、こんな馬鹿なことをやつて居られるものでない、さりとて人民は水の中に今日は飮まず食はずに居る譯であるから谷中の人民をどうさしたら宜からうか、さうなれば先づ安き補償金を與へて人民を餘所へ移したら宜からうと云ふ御決心に内務省はなつたと云ふこと、之は今日まだ土木をして居る土木課長の某が明に村會議員二三名總代二名私と、警察官は立會はせませぬが縣會議員を立會しての話である、此土木の話に斯うです、私は來た計りでございまして茨城の方から廻つて來た計りで、栃木の谷中村の事情は存じませぬが、書いた上の御話をすれば始り十萬圓掛けたが效能がない、十萬二十萬ではいかぬと云ふので調べたら百二十萬と云ふものが出た、此上に年々修繕費を加へたら安全だらうと云ふので東京へ要求したが、それ丈の金は掛けることはいかぬと云ふので二十二萬圓と云ふ金を國庫から貰つて、此方から二十六萬圓加へて四十八萬圓にして先づ人民を救ふ手段にしましたと云ふ話をしました、之は明に證人のあることで、此
前へ 次へ
全26ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 正造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング