混つて來るから、十年ばかりと云ふもの知らずに居つた是れが一つ。愈々是を知つて、さて問題が六ヶしい、化學衞生權利經濟國家政治社會――斯樣な色々なものを一通り心得なければ、此事に就て聲を立てることが出來ないと云ふ問題である。此被害地の人に取ては實に至難な問題であります。次に費用の出所であります。鑛毒を知つても、請願をするとか何をするとか云ふ運動費の出場が無い。町村の自治と云ふものがもそつと發達して居りますならば、是は無論町村會で議決してやるべきものと決まつて居りますが、悲しい哉此の沿岸の町村は他の町村に比べて幾らか智識が劣つて居るものと見へ、之を矢張被害民に押付ける。被害人は災難を受けた上に費用の出所が無いから涙を呑んで默つて居たので、今日では皆之を町村費で議決して出すやうになりましたけれども、其間どうすることも出來ずに居たのである。
 もう一つは政府と云ふものはどうであるか。先づ地方官の事から御話をします。――(此時吉本榮吉演壇に趣きて田中に私語す)――豫ねて前にも申上げて置きました通り、嘸ぞ御迷惑でございませうけれども、何卒當年の如く御休の多い年柄でございますから、幸に此の被害者を御救ひ下さる御思召がございますならば、今暫く御清聽を願ひたう存じます。――偖て地方の役所では、或は天然痘が流行つて來たと云ふて大騷ぎをする、是は大騷ぎをやるのが宜い。又た桑木の植方其他蠶種に至ては微粒子の取調種々なる事に力を盡すに似合はず、此の鑛毒と云ふものに至ては知らざる如くである。十萬人の毒食する者があつても、是に一片の令達も出ない。唯だ明治十四年に早くも渡良瀬川の魚を食つてはならぬと云ふことを、當時の栃木縣令藤川爲親と云ふ人が令達を出したことがあつた。十四年に藤川縣令が未だ正直なる時代に斯樣な令達を出したのに、今日は、昨年の洪水で十萬以上の人が毒殺されるのに、何一つ鑛毒と云ふことを言つてない。此方から忠告しても爲ない。文字に書いてはならない、書くと氣が付くから差止める。斯樣な慘酷なる事で、栃木群馬二縣の人々は鑛毒と云ふことを言つてはならぬと云ふ位に、郡吏や縣官から非道な取扱を受けて居るのでございます。然らば何も彼も構はず打捨ておくかと云ふに、一方郡吏が東西に奔走して色々干渉手段を廻らして途方も無い惡事ばかり働いて居るのでございます。それで人民に聲を立てることが出來まするか。斯樣に私が御話を致しましても、若し實際毒がひどいならば人民は既に竹槍蓆旗にも及びそうなものである、蓑笠を着けて御門訴をしそうなものであると思召しませうけれども、其れが色々な事情に依り、或は縣官郡吏を擒にし、或は地方で有名な者を擒にして壓制を致しますると云ふ次第なので、是は栃木群馬の被害人民ばかりでは無い、隨分中等以上の人間も五十人三十人の團體がございましても、其の頭の方を二三人買收されると、あとはおとなしくなると云ふことは、先づ帝國議會の中には居りませぬけれども、議會の門を出ると然う云ふことがどうも行はれて居る。側から見て居ると如何にも人間の頭では考の付かないことが幾らもございますから、此の被害人民中の悧巧さうな者を捕へてしまへば、あとは聲の立たないと云ふは極つた話。斯の如き事は申したくはございませぬけれども、被害人民の爲に之を辯解するが爲には少しく申さなければならない。
 又たも一つは、有形的のものは能く人が氣付く、然れ共無形のものに至ては如何にも氣の付き方が遲かつたのでございまして、氣の付いた時にはもう事が過ぎて居た。彼の岐阜愛知の震災の如き、三陸の海嘯の如き、噴火山爆發の如きは、大抵な馬鹿でも是れは分かる。大臣や何かも飛んで行く、技師も飛んで行く。所が此の鑛毒と云ふ問題はジミなものであるからして、世間で知らない。世間で知らないは據ないが、農商務省が知らなければならぬのに、是を取締るべき所の人達が是を知らぬと云ふに至ては如何なる事であるか。先づ當り前の人間には判斷が六つかしい。尚ほ進んで申しますならば、彼の岐阜愛知の震災、また三陸の海嘯各府縣の洪水は實に慘憺たる有樣でございますが、これは天災である。此の天災と云ふものすら政府は是を處置するでございませう。此の鑛毒事件は天災に加ふるに人爲の加害がありましたならば、人爲の害は人爲で醫すると云ふことは決まつて居る。此の決まつた事をしない。分らない話である。分らない筈だ、人爲で害を與へた事を、又た人爲を以て之を掩ふことが出來るのである。地震の如き天災は人爲を以て押へることは出來ぬが、鑛毒のやうな人爲で加へた毒であるから、又人爲を以て、「毒は無い。」「毒は薄い。」請願人がワイ/\言ふのは皆な洪水を幸にして、あれも鑛毒是も鑛毒と、洪水の害を鑛毒へ引き付けるのだなど言ひ譯する。山師が金を撒き散して働けば、何分樣子を知らない人達は、先きに聞いた方を御尤に思ふのは無理のない話である。此の樣子を知らぬ諸君が反對の議論を御信じになるのは據ない事でございまするが、是を取締るべき所の役所が被害地の人民よりも譯が分らない、被害地の人民が卑屈で今日まで聲を立てぬと言ふよりは、農商務の官吏等が聲を立てぬと云ふのは、幾百倍の卑屈と云ふべきか、無學と云ふべきか、實に此の農商務の官吏に向て言ふ言葉を知らぬのである――何と言ふたら形容し盡くせるか、まさかに蛆蟲とも言へず、馬鹿野郎とも言へぬ、何と云ふ名を付けたら宜いでございませうか。
 諸君御覽なさい。關東の地面は平坦で地が廣い、實に目を遮るものが無い。此の沃野の良田數十里と云ふものが害されて、之を救ふものが今日政府の中に無いと云ふに至ては、如何でございます。諸君が常に忌む所の藩閥政府は、此良田をして沙漠たらしめたのである、沙漠となしつゝあるのである。此の綺麗な田畑淳朴な人民を、或は傷害し或は毒殺すると云ふのは藩閥政府のやり方で、藩閥政府が東北の人士を取扱ふこと斯の如く殘酷であるのでございます、如何ともすること能はざる有樣にして置いて、質問書が出たならば相當の答辯をして見るが宜しい。どう云ふ答辯が出來るか――或は是から學者を頼んで機械を買入れて毒を流さぬやうにする。――テーブル上の議論も大抵にするが宜い。人を殺して置いて、是から醫學の研究をする――そんな答辯ならば御よしなさるが宜しい。是から廿四年の質問に就て、今日まで政府が嘘を吐いたと云ふ御話を致して止むのであります。
 鑛毒と政治の關係――歴代の政府が此銅山に對しては無政府の有樣である、古河市兵衞に對しては一言も無いと云ふ政府である。從來の大臣が議院に對して詐りの答辯をしたと云ふことは、明治廿四年十二月本員等の質問に對する答辯は、以來毒を流さぬやうに機械を据付けて其れ/\準備して居る、學者も是まで掛つて心配して居ると云ふやうな答辯でありました。其年は議會が解散されて、二十五年に第二回の質問を致しました所が、其時の答辯も亦た粉鑛採聚器と云ふものを据付け、是から先きは決して毒を流さぬやうにすると立派に答辯が出て居るけれ共、それが徹頭徹尾やると云ふの誠意が無いから、第三囘の質問を出しますると、第三囘目には是等の答辯を出さずに地方官に内命を下して、地方の縣令が被害人と古河との間に這入つて仲裁を試みた。縣令たるものが、此の公益に害があり衞生に害があると云ふものを金圓を以て扱ひをする。其の扱をする言葉に、又々粉鑛採聚器と云ふ機械を据付けて毒は必ず流さないから是で承知しろ、其代り諸君にも幾らか既往の損害もあることであるから是は不充分ながら取つて呉れろと言ふから、地方の人民は皆な知事の申すことであるから之を信じて、欺かれて幾らかの金を取つた。そうして以來毒は流れて來ぬと云ふことであるから、私共の知事は有難い事であると言つて知事に禮状を發した位である。其の世話役をした縣會議員抔もありますけれども、是は未だ能く鑛毒の事を知らぬのであつた。職のある者が斯う云ふ事をやると云ふは惡るいけれども、是は知らぬでやつたことであるから敢て彼此言ふではございませぬが、知事たる者が内務省の内命を受けるとか何かなければソンな亂暴なことをやるだけの度胸を持つて居るものではございませぬから、即ち議會に於て鑛毒を流さぬと云ふことを二度まで答辯して、それで三度目の答辯が出來ないから、地方の知事を頼んで仲裁したと云ふやうな曖昧した答辯が出た位でございまするが、其時には農科大學の試驗の成績を以て第二囘の質問を致しましたから、鑛毒が無いと云ふことは言へなくなつた、鑛毒はあるに相違ないけれども未だ鑛業を停止するだけの程度に至らぬから、是の場合粉鑛採聚器を据付けて是から先き毒を少しも流さぬやうにすると云ふ答辯を致した。それで續いて知事を以て地方を瞞着し、瞞着するのみならず欺いて居る。
 明治廿六年に、どうも粉鑛採聚器と云ふものは效力の無さそうなものであるからして、質問を致さうと思つて居ると、議會が解散になつた。廿七年に質問しようと思ふと、又解散になつた。其中に日清戰爭になりましたから、此の場合は質問どころか意を枉げて之を控へて國の一致團結を圖り、外國に對して兄弟牆にせめぐことをば見せぬやうにしたのが、當時の精神であります。それで廿七八年は質問はしないのでございます。丁度伊藤内閣の時には質問しないで、今の内閣に至つて質問するやうな場合になつて來た。然るに廿七年の洪水の毒が來たから、そこで鑛業者は驚いて、廿七年十一月から郡吏を派遣して地方の人民を騙かし始めた。其瞞着の仕方と云ふものは、郡吏と云ふものが色々考えた末、郡長の内命だとか或は郡長の代理だとか言ふては出張し、人民を呼び上げて、一段歩に付き二圓若くは一圓の金を呉れるから永世苦情を言はぬと云ふ書付に判を捺せ。――一體此の欺き方が色々で、嚇すのもあるし賺すのもある。或は虚言を吐き、足尾銅山と云ふものは最早鑛脈が絶へて一年位しか持たないのであるから、今ま一圓でも二圓でも取れば取り徳だ、五十錢でも取り徳だ、是れは貴樣にだけ内證で話すのだがと云ふ樣な事を言ふ。此話が漏れて傳はるから、五十錢でも三十錢でも取り徳と云ふ競爭で、彼の永世苦情を言はぬと云ふ書付を、五圓以下一圓から二十五錢甚しきは七錢五錢、唯だ五錢取つて永世苦情を言はぬと云ふ判を捺した。群馬縣邑樂郡海老瀬村などは一村皆な然うである、一番多いのが二十五錢である。
 斯樣な譯で、色々な手段を以て欺いて、金を遣つて書付を取つたから是で苦情は無いものである、是は鑛毒地の半分以上を占めて居る抔と云ふことを、今日申して居る連中がある。彼の惡漢無頼の輩ならばいざ知らず、郡吏などが斯樣なことをやつたと云ふことに就きましては許されないことですから、日清戰爭平和の後二十九年に質問したのでございます、此處だけ質問したのでございます。是にも亦た農商務大臣は答辯しない。近頃聞く所によると、群馬縣新田郡の郡吏中某と云ふものは灌漑用水か何かで、近頃鑛業停止の請願書が大分出るさうだから古河市兵衞に掛合へば必ず金が取れる、金を取るのは此處だと言ふて騷ぎ[#「騷ぎ」は底本では「騷き」]立て、郡吏の先立で、古河市兵衞から一萬圓内外の金を取つて被害人民を胡麻化そうとしたが、然う馬鹿にされる人民許りでもございませぬから、昨今反對の大騷があると云ふ話である。兎に角郡吏と云ふ者の遣り方が此の通りだ。内務大臣と云ふものは是に就て、何故己の本領を固めて農商務大臣に御掛合は無いでございますか。甚しきは此の廿七年の十一月のことでございます。十一月は未だ日清戰爭中、海城邊の戰爭の時分で、兵隊は寒い所で凍へて死ぬ、兵糧衣服は不十分と云ふことを訴へて居る折柄、此の鑛毒被害地からも壯丁が繰出して戰場へ出て居る、此の壯丁の居ない時を附け込んで老若男女を脅かし騙して印を取つたと云ふことは、如何に金が欲しくてすると云ふても、苟も役人と云ふ肩書を持つて居る奴が、古河市兵衞の奴隸になるとは怪しからぬことで、此の人間が今日に至て未だ郡吏だとか何だとか云ふことをして居ると云ふに至ては、日本政府無し――政府があるならば斯樣な奴は嚴重なる御處分があつて宜しかろうと思ふ。それで一圓
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