。前年栃木縣農事試驗所に於て致した所の試驗、又明治廿二年と廿九年の兩度に於て醫科大學の三宅秀と云ふ人が、鑛毒が衞生に害があると云ふことを二囘栃木縣へ來て演説された。其他色々の調により、銅山の毒が何に障るかと云ふ位の事は分り切つて居るのに、農商務省が分からぬと云ふは不思議千萬である。銅山製鑛所の烟害と云ふものが山林を枯して山を禿にするばかりで無い、此の烟突から出る烟が風に從つて或は東或は西、數里の間山に登つて、目に見へるだけ皆な禿山になつてしまつた。木ばかりでは無い、竹草苔と云ふものまでも綺麗に之を枯してしまふ。烟の中に一種の灰が混つて居る。此灰が觸れると忽ち葉が枯れると申しまする。是は化學者の領分で、私は細かい御話をしませぬが、何にしろ木が枯れる。日本開始以來斧斤を入れない山と云ふものは、木の根で網の如く絡んで居て、落ちようとする土砂を木の根で固く抑へて居り、崩れかゝる巖石を木の根で固く支へて居る。是を伐つてしまつたから山の土石が崩れる。今四五年經つて此根が腐つてしまへば、必ず山が大崩れに崩れて如何なる災害が來るかわからぬ。昨年の洪水は未だ此點にまで達したのではござりませぬ。斯樣なことも前に分つて居る。今日の所は、唯今水源が乾燥して多少の土砂が流れ出る、製鑛所からも砂を流す、山からも砂が流れて來るので川が埋つた。川の埋り方も、他の利根川や鬼怒川北上川と云ふ川の埋り方と違つて、故らに土砂を流す仕懸になつて居りますから、川底が他の川々よりも急に高くなる。今日の所、後來恐れますのは、此山の崩れると云ふことが一度はあると云ふことを明言して置かなければなりませぬ。――まるで取締らぬでは無い、伐つた跡に木を植へろと云ふ命令を下してある。七千町の木を伐つた時に命令を下して、今日いくら植へてあるかと云ふと、五十三町しか植へてない。たとひ殘らず植へましても、其木が大きくなつて山が崩れないやうになるには、百年を待たなければならぬ。斯樣に鑛業人が先づ其責任を盡ュさない。其故に去七月中のこと、是は御話が枝に渉りますけれ共、群馬栃木兩縣の縣會議員で氣の付くものが寄合して、渡良瀬川は前途非常な災害があるから、堤防[#「堤防」は底本では「堤坊」]を新築するか増築するか或は延長するか如何にか工夫を取らなければ、如何なる災害に遇ふやも知れぬと云ふて評議して居りますと、超へて九月八日の大水、是が非常の事でありましたけれど、今日山崩を防ぐ計畫をすれば、まだ是丈は幾らか防げるかと思ふのでごさいます。
斯樣な譯で、此鑛毒と洪水の事を少々申上げなければなりませぬ。洪水の事は各府縣に於ても災害を受けて居る事でありますから喋々申しませぬ。唯だ群馬栃木埼玉茨城の洪水は、毒が這入つて居ると云ふだけが違つて居る。越後岡山其他各地洪水の御話も隨分慘憺たる有樣でありますが、此方のには毒があるのでございますから、諸君の御賢察を願はなければなりませぬ。それで此堤防に生へる所の竹が枯れてしまう。是れが(演壇上に竹を示しつゝ)堤防の竹でございます。是は當年の竹が死んでしまつたのである。鑛毒の爲に根が枯れる、此根が皆な長くならなければならぬのに、皆な枯れて是だけしか根がありませぬ。――此の堤防のことにつき當節土木局の役入抔の話によりますると、一體堤防に竹のあるのはよくない、綺麗に刈拂はぬと、洪水の時に蟻の穴鼠の穴から堤防の崩れるのが分らぬ、殊に手を掛けないで鑛毒の爲に枯れて呉れゝば便利だなどゝ云ふ辯護説もあるそうでございます。從來竹を以て護岸とし或は草を以て護岸とし柳を以て護岸とする徳川時代の堤防は、皆な地勢に則り川の流を十年も二十年も實驗して築いた堤防である。今の堤防學者の樣に外國で學んで來て、川の地理などには構はないと云ふのとは違つて居る。竹で防げる所は竹で、草で防げる所は草ですると云ふのが徳川時代の堤防築造方でございます。古い堤防は竹が必要な場所がある。其竹を枯してしまへば善くなると云ふ筈は無い。是が爲に堤防が切れて澤山の害を受けたと云ふことは、是は御訴へ申して宜からうと思ふ。それで堤防の竹が斯の如く枯れるばかりでなく、洪水のある地方から御出になつた諸君は能く御承知でございますが、堤防には幅が極まつて居る、高さも極つて居る。然るに此渡良瀬川は明治政府が出來て、明治廿二年以來川床が非常に高くなつたことは是はちやんと分かつて居る。或は六尺高くなつて居るかと思はれる、堤防を六尺高くしなければ水が溢れると云ふことも極つて居る。然るに此の山から押し出して來る所の水が、乾燥して居る川へ一時にドツとやつて參りますから、敢て大水でなくとも水は一時に來る。同じ水でも一時に參りますから多くなる。川の下流の方では未だ洪水と云ふことを知らぬ内に、上手の方の堤防が切れる。此の水の水脚も非常に早くなつた。此に付ては内務省にも調べた統計がございませう。元と十時間で來たのが三時間で來る、二十時間のが七時間か八時間で達しますから、水防の準備も無い中にやつて來るB是が爲め殆ど堤防が水に堪へなくなる、疲れて堪へないかと云ふと然うでは無い、一時に來るからである。例へばコツプの水を飮む如く、徐々に飮めば幾らでも飮めるが一時に飮めば咽せる如く、堤防を壞はすことは決まつて居る。栃木縣だけの統計を見ましても驚くべきであります。栃木縣は八郡で、其の水害を受けた所が一萬九千町歩、しかも渡良瀬川沿岸三郡で其一萬九千町歩の内一萬三千町背負込んで居る。水害を受けた其内に、堤防が切れたばかりで六千十九町と云ふものが荒地になつてしまつた。此の荒地と云ふものも、尋常の荒地であれば五ヶ年十ヶ年の鍬下年限で起返りますけれども、毒が混つて居るから如何とも致方が無い。此土を悉く取片付けなければならぬ。此毒土の厚さが五寸の處もあれば一丈に及ぶ處もある、此土を取片付けなければならぬ。取片付けるには如何致す。土のやり場も何もありませぬから、畑なり田なりの片隅に土山を築いて、跡を耕地にするのですから、某困難は一と通で無い。鑛毒が這入れば其田地は死滅したもので、其土を掘出し片隅に山を築き、一方を畑に致す――新に買入れるよりも高くなると云ふ計算で、經濟上から言へば丸で問題にならぬ。
次は鑛毒の爲に年貢を下げなければならぬことである。栃木群馬茨城埼玉諸縣鑛毒地の年貢を下げ又た免租もしてやらなければならない。一體水害地方と云ふものは、常に水害を被ぶるからして地價は安く出來て居る。其れ故尋常の水害ならば地價を下げるに及ばないが、毒と云ふものが這入りますれば地價を下げなければならぬと云ふことが出來る。外の荒地なれば五年十年で起返りますけれど、毒の這入つた砂のやり場が無いから、若し堤防を築き鑛業を停止しましても、此田地は最早死んだもので、是は開墾の名義にしましたなれば又幾らか田地になるかと云ふに過ぎないのであります。最早今日までに沙漠となつてしまつた地面が千六百町もあるのでございます。三萬町以上の中で捨てゝ置けば皆な然うなつてしまふ。俄になるのではございませぬ、まだ五年と六年と間はあるけれども、今日其を差止めなければ矢張皆惡るくなつてしまふ。此の免租減租を致しまするに就ては、租税のことに心配をする當局者もございませうから參考に申して置きますが、一體此の渡良瀬川沿岸と云ふものは地味が肥えて居て地價が安い――水害地だから。灌漑用水の方は地價金が高い。其れで賣買値段を申しますると灌漑用水の方は賣買が安い。此の水害地の方の堤外地と申して此の土手の外にある地面は、元と二百圓の取引であつたものが、其れが一圓二圓でも賣買が無いやうになつて居る。元來川の沿岸は浸水を受けると同時に、深山の木の葉が落ちまして、此葉が腐れて洪水の時に流出して田地に注ぎ肥料となるから、洪水が出ますると同時に田地が良くなり、又た冬先に至ては麥作も能く出來た。所が今日肥料と云ふものが來なくなつて、是に代るに毒が來ると云ふ話になつたから、二百圓の地面が一圓二圓になつてしまつた。
此鑛毒の害を受ける田地の種類が三ツある。第一は用水地である。第二は逆流水と申して、洪水の時に込み上げて來る逆流水が、堤防の裏に廻つて此の堤内の田畑を害す、逆流水を受ける處が十三口あります、渡良瀬沿岸三郡の中に十三口あります。斯う云ふ風に枝川は十三口あつて、水が逆さになつて來るから堤防の中に水が這入る、是が一種であります。第三は水が堤防を破つて新規に荒地を拵へるのであります。之を要するに、前には肥料が來たものが、今日は肥料に代つて毒が來る。それで今一言荒地のことに就て申上げて置きたいのは、尋常の荒地でございますれば是は天災でありますから據ない、所有主の損と國家の損で終るのでございまするが、其に加ふるに人爲の害即ち鑛毒と云ふものを押流しましたのは、先づ賠償金を取る權利があると同時に、前申しまする通り五年十年を以て起返へるべきもので無いと云ふことをば、呉々も諸君に訴へて置かなければなりませぬ。一體租税を司る者は早く注意をしなければならなかつたのであります。大藏省あたりでも何故之を早く當局の大臣に迫らないのでございますか、自分の本領を守つて何故農商務大臣に掛合はないのでございますか。
被害の種類を御話申しますることは長くなつて出來ませぬから、其項目を朗讀して演説に代へます。其項目は五十四箇條ある。――個人被害は、
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田畑荒廢に因れる不動産の滅失。土質變惡に因れる地價の低落。地價低下に因れる賣買實價の下落。土質變惡に因れる肥料増加。田畑荒廢及び土質の變惡に因れる收穫の減失。藁稈の浸害に因れる飼料及び肥料の減失。苅草の浸害に因れる家畜飼料及び肥料の減失。積肥の浸害に因れる土壤培養力の減失。毒水の浸害に因れる家宅倉庫の減失。家宅倉庫の浸害に因れる什器家具の減失。家宅倉庫の浸害に因れる穀菜其他飮食物の減失。家宅倉庫の浸害に因れる家畜家禽の斃亡。毒泥浸入に因れる床下土砂の入替費増加。土中浸毒に因れる水脈の閉塞及び井水新鑿費増加。原野浸毒に因れる茅葭の枯涸及び草屋葺料買入費増加。河川沼地の浸毒に因れる漁業の廢絶。穀菜その他飮食物の減失に因れる榮養補足費の増加。漁業廢絶に因れる榮養補足費の増加。財産減失に因れる衣食住の缺乏。貧困窮迫に因れる身體榮養の不足。貧困窮迫に因れる浸害物喫食の害。井水浸毒に因れる飮料の汚害。薪炭浸毒に因る焚火の烟害。毒水蒸發に因れる大氣呼吸の害。土質變惡に因れる筋骨過勞の害。土地の荒廢に因れる所有權の消滅。財産滅失に因れる選擧權の消滅。
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又た地方の被害を擧れば、
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土地荒廢に因れる共有地の減失。毒水浸入に因れる共有家屋建物の減失。毒水浸入に因れる共有井水浚渫費の増加。地價低落に因れる税源の減失。土地賣買實價下落に因る富力の減失。鑛毒浸入に因れる堤防の竹木草苔の枯涸。竹木草苔の枯涸に因れる堤防の決潰。堤防決潰等に因れる道路及び橋梁の損失。銅山薪炭の増加に因れる水源山林の濫伐。山林濫伐に因れる土砂流失河底埋塞。河底埋塞に因れる舟楫往來の減失。鑛毒浸入に因れる用水路の損失。堤防決潰に因れる治水費の増加。道路橋梁の損失に因れる土木費の増加。失産貧窮に因れる救恤費の増加。貧窮流離に因る戸數及人口の減失。戸數及人口の減失に因れる自治權の縮少。
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又た國家の被害を擧ぐれば、
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土地荒廢に因れる面積の減失。土地荒廢に因れる國有地の減失。毒水浸入に因れる國有家屋建物の減失。税源減少に因れる國庫收入の減少。地方財力の減失に因れる國力の減少。地方負擔過重に因れる國庫補助の増加。健康被害に因れる兵丁合格者の減失。貧困窮迫に因れる國民教育の不振。貧困窮迫に因れる犯罪者の増加。道路橋梁の損失に因れる郵便電信の不通。
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是は御退屈になりますから、速記の方へ頼んで書いて貰ふことにして、まだ半分も讀みませぬが是で留めやうと思ひます。斯樣なものが五十條以上もございまするが、詰る所は此の人民が貧困に陷り――人民が貧困に陷
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