るのは急激に來る、急激に來て急に財産を失ひ、急に貧乏になり、急に衣食住を缺き、急に榮養力を減ずる。就中衞生上の害は大きく、農民が馬を飼つても馬に喰はせる藁が無い。洪水が出ました跡の草を刈つても、其草を馬に喰はせることが出來ない。是はもう論外で、其から來る衞生上の害は察するに餘あることでございまする。毒に基づく榮養力の減退を考へまするに、明治十四年栃木縣の統計に據れば、魚を捕るものが二千七百七十三人ございましたのが、明治廿一年には七百八十七人に減じた位でございます。又た野菜の方を見ましても、足利郡羽田の庭田と云ふ人は本家新宅の家の周りに十五町餘の田地を持つて居て、其の十五町餘の耕地に菜一つ作ることが出來ない。今日此處で私が申上げても其眞相を描き出すことが出來ない。十五町餘も宅地に附いた地面がありながら菜一つ作ることが出來ない、其でも作つて見たいから、二尺も三尺も土を脇へやつて中へ菜を蒔いて見る――風が吹くと其中へ砂が落ちるから菜が枯れる、雨が降つても枯れる。魚も然うでございます。魚は一尾も居ない――一尾も居ないと云ふことは無い、居る時もある。居る時はいつも秋である。秋長く天氣が續くと毒が河底へ沈澱するからソロ/\魚がやつて來る。之は僅かな雨の爲めに死ぬ、何故に僅な雨の爲に川の魚が死ぬるかと云ふと、其れは洪水の時堤防に毒がたんと付いて居る、草や木に毒が一杯ついて居る、是れが少しでも雨が降りますると地を洗つて毒を落し、堤防の毒を洗つた水が少しでも流れこむと魚が死ぬ、是は洪水でなくとも然う云ふ有樣でございまする。其故に今日でも野菜が生へない。其れでも百姓と云ふものは、綺麗な地面であるから菜を蒔いたら生へるだろう、芋を植へたら出來るだろうと迷つて居る。魚も捕れないことは無い、時としては來るからと言ふて、魚を捕る道具を持つて居るものもある。
食物を喫べる時毒を食べると云ふに至ては情ない話である。洪水が出ますと水と共に田畑へ鑛毒が這入りまして、高い所には這入らない處もありまして、鑛毒の無い水と鑛毒のある水とある。籾は鑛毒の水を被つたのも腐れ、鑛毒のない水を被つたのも腐れ、どちらも其籾の皮を剥ぐと黒い玄米が出來て、是を小米と稱へる。此の小米を白米にしようと思ふと、粉になつてしまつて白米にはならない。是を玄米のまゝ碓で挽いて粉にする。そこまでは同じであるが、毒水を被つたのと被らない
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