とめけん、吹く風つたへて伯母君の耳にも入りしは、これや生れて初めての、仇名《(あだな)》ぐさ恋すてふ風説なりけり。
世は誤《あやまり》の世なるかも、無き名とり川波かけ衣、ぬれにし袖の相手といふは、桂木一郎とて我が通学せし学校の師なり、東京の人なりとて容貌《みめ》うるはしく、心やさしければ生徒なつきて、桂木先生と誰れも褒めしが、下宿は十町ばかり我が家の北に、法正寺と呼ぶ寺の離室《はなれ》を仮《(かり)》ずみなりけり、幼なきより教へを受くれば、習慣《ならはし》うせがたく我を愛し給ふこと人に越えて、折ふしは我が家をも訪ひ又下宿にも伴なひて、おもしろき物がたりの中に様々教へを含くめつ、さながら妹の如くもてなし給へば、同胞《(はらから)》なき身の我れも嬉しく、学校にての肩身も広かりしが、今はた思へば実《げ》に人目には怪しかりけん、よしや二人が心は行水《(ゆくみづ)》の色なくとも、結《ゆ》ふや嶋田髷これも小児《こども》ならぬに、師は三十に三つあまり、七歳にしてと書物の上には学びたるを、忘れ忘られて睦みけん愚かさ。
見る目は人の咎《(とが)》にして、有るまじき事と思ひながらも、立ちし浮名の消ゆる時なくば、可惜《あたら》白玉の瑕《きず》に成りて、其身一生の不幸のみか、あれ見よ伯母そだてにて投げやりなれば、薄井の娘が不品行《ふしだら》さ、両親あれば彼《(あ)》の様《(やう)》にも成らじ物と、云ひたきは人の口ぞかし、思ふも涙は其方《そち》が母、臨終《いまは》の枕に我れを拝がみて。姉様お願《(ねがひ)》は珠が事をと。幽《(かす)》かに言ひし一言あはれ千万無量の思ひを籠めて、まこと闇路に迷ひぬべき事なるを、引受けし我れ其甲斐《(そのかひ)》もなく、世の嗤笑《ものわらひ》に為しも終らば、第一は亡き妹に対し我が薄井の家名に対し、伯母が身は抑《(そもそ)》も何とすべき。と御声ひくゝ四壁《あたり》を憚りて、口数すくなき伯母君が思《(おぼ)》し合《(あ)》はすることありてか、しみじみと諭《(さと)》し給ひき、我れ初めは一向《ひたすら》夢の様に迷ひて何ごとゝも思ひ分かざりしが、漸々《(やうやう)》伯母君の詞するどく。よく聞けよお珠、桂木様は其方を愛で給ふならん、其方も又慕はしかるべし、されども此処に法《きまり》ありて、我が薄井の家には昔しより他郷の人と縁を組まず、況《(まし)》てや如何に学問は長じ
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