は笑ふて參りまするとて是非なさゝうに立あがれば、母親は無けなしの巾着さげて出て駿河臺まで何程《いくら》でゆくと門なる車夫に聲をかくるを、あ、お母樣それは私がやりまする、有がたう御座んしたと温順《おとな》しく挨拶して、格子戸くゞれば顏に袖、涙をかくして乘り移る哀れさ、家には父が咳拂ひの是れもうるめる聲成し。
下
さやけき月に風のおと添ひて、虫の音たえ/″\に物がなしき上野へ入りてよりまだ一町もやう/\と思ふに、いかにしたるか車夫はぴつたりと轅《かぢ》を止めて、誠に申かねましたが私はこれで御免を願ひます、代は入りませぬからお下りなすつてと突然《だしぬけ》にいはれて、思ひもかけぬ事なれば阿關は胸をどつきりとさせて、あれお前そんな事を言つては困るではないか、少し急ぎの事でもあり増しは上げやうほどに骨を折つてお呉れ、こんな淋しい處では代りの車も有るまいではないか、それはお前人困らせといふ物、愚圖らずに行つてお呉れと少しふるへて頼むやうに言へば、増しが欲しいと言ふのでは有ませぬ、私からお願ひです何うぞお下りなすつて、最う引くのが厭やに成つたので御座りますと言ふに、夫ではお前加減
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