ぬ》に軟《な》へたる帯、やつれたりとも美貌《びばう》とは誰《た》が目にも許すべし。「あはれ果敢《はか》なき塵塚《ちりづか》の中《うち》に運命を持てりとも、穢《きた》なき汚《よご》れは蒙《かふ》むらじと思へる身の、猶《なほ》何所《いづこ》にか悪魔のひそみて、あやなき物をも思はするよ。いざ雪ふらば降れ、風ふかば吹け、我が方寸《ほうすん》の海に波さわぎて、沖の釣舟《つりぶね》おもひも乱れんか、凪《な》ぎたる空に鴎《かもめ》なく春日《はるひ》のどかになりなん胸か、桜町が殿の容貌《おもかげ》も今は飽くまで胸にうかべん。我が良人《をつと》が所為《しよゐ》のをさなきも強《し》いて隠くさじ。百八《ひやくはち》煩悩《ぼんのう》おのづから消えばこそ、殊更《ことさら》に何かは消さん。血も沸かば沸け、炎も燃へばもへよ」とて、微笑を含みて読みもてゆく、心は大滝《おほだき》にあたりて濁世《だくせ》の垢《あか》を流さんとせし、某《それ》の上人がためしにも同じく、恋人が涙の文字《もんじ》は幾筋《いくすぢ》の滝のほとばしりにも似て、気や失なはん、心弱き女子《をなご》ならば。
傍《そば》には可愛《かあゆ》き児《ちご》の寐姿《ねすがた》みゆ。膝《ひざ》の上には、「無情の君よ、我れを打捨て給ふか」と、殿の御声《おこゑ》ありあり聞えて、外面《そとも》には良人《をつと》や戻《もど》らん、更けたる月に霜さむし。
「たとへば我が良人《をつと》、今|此処《こゝ》に戻らせ給ふとも、我れは恥かしさに面《おもて》あかみて此膝《これ》なる文《ふみ》を取《とり》かくすべきか。恥づるは心の疚《や》ましければなり、何かは隠くさん。
殿、今もし此処《こゝ》におはしまして、例《れい》の辱《かたじ》けなき御詞《おことば》の数々、さては恨みに憎くみのそひて御声《おんこゑ》あらく、さては勿躰《もつたい》なき御命《おいのち》いまを限りとの給ふとも、我れはこの眼《め》の動かん物か、この胸の騒がんものか。動くは逢見《あひみ》たき欲よりなり、騒ぐは下に恋しければなり」
女は暫時《しばし》※[#「りっしんべん+空」、第4水準2−12−51]惚《うつとり》として、そのすゝけたる天井を見上げしが、蘭燈《らんとう》の火《ほ》かげ薄き光を遠く投げて、おぼろなる胸にてりかへすやうなるもうら淋《さび》しく、四隣《あたり》に物おと絶えたるに霜夜の犬の長吠《とほゞ》えすごく、寸隙《すきま》もる風おともなく、身に迫りくる寒さもすさまじ。来《こ》し方《かた》往《ゆ》く末《すへ》、おもひ忘れて夢路をたどるやうなりしが、何物ぞ、俄《にはか》にその空虚《うつろ》なる胸にひゞきたると覚しく、女子《をなご》はあたりを見廻して高く笑ひぬ。その身の影を顧り見て高く笑ひぬ。「殿、我《わが》良人《をつと》、我子《わがこ》、これや何者」とて高く笑ひぬ。目の前に散乱《ちりみだ》れたる文《ふみ》をあげて、「やよ殿、今ぞ別れまいらするなり」とて、目元に宿れる露もなく、思ひ切りたる決心の色もなく、微笑の面《おもて》に手もふるへで、一通《いつゝう》二通《につう》八九通《はつくつう》、残りなく寸断に為《な》し終りて、熾《さか》んにもえ立つ炭火の中《うち》へ打込《うちこ》みつ打込みつ、からは灰にあとも止《とゞ》めず、煙りは空に棚引《たなび》き消ゆるを、「うれしや、我《わが》執着も残らざりけるよ」と打眺《うちなが》むれば、月やもりくる軒ばに風のおと清し。[#地から1字上げ](終)
底本:「全集樋口一葉 第二巻 小説編二〈復刻版〉」小学館
1979(昭和54)年10月1日第1版第1刷発行
1996(平成8)年11月10日復刻版第1刷発行
初出:「毎日新聞」
1895(明治28)年4月3日、5日
※「良人」に対する「をつと」と「おつと」、「女子」に対する「をなご」と「おなご」の混在、旧仮名遣いにはそわないと思われるものも含めて、ルビは全て底本通りとしました。
入力:もりみつじゅんじ
校正:浅原庸子
2003年3月23日作成
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