く過ぎて、はては尋ね行きたりとて、面《(おもて)》を合はする事もなく、乳母にや出《(いで)》けん、人の妻にや成りけん、百年の契りは誠に空しくなりぬ。
 斯《(か)》くて半年を経たりし後は、父もむかしの父に非ずなりぬ、見かぎりて出《(いで)》にし妻を、あはれ賢こしと世の人ほめものにして、打《(うち)》すてられし親子の身に哀れをかくる人は少なかりき、夫《(そ)》れも道理、胸にたゝまるもや/\の雲の、しばし晴るゝはこれぞとばかり、飲むほどに酔ふほどに、人の本性はいよいよ暗くなりて、つのりゆく我意《(がい)》の何処《(いづこ)》にか容《(い)》れらるべき、其年《(そのとし)》の師走には親子が身二つを包むものも無く、ましてや雨露をしのがん軒もなく成りぬ、されども父の有けるほどは、頼む大樹のかげと仰ぎて、よしや木ちんの宿に蒲団はうすくとも、温かき情の身にしみし事もありしを、夫《(それ)》すら十歳と指をるほどもなく、一とせ何やらの祝ひに或る富豪《ものもち》の、かゞみを抜いていざと並べし振舞《(ふるまひ)》の酒を、うまし天の美禄、これを栞《(しを)》りに我れも極楽へと心にや定めけん、飢へたる腹にしたゝかものして、帰るや御濠の松の下かげ、世にあさましき終りを為しける後は、来よかし此処へ、我れ拾ひあげて人にせんと招くもなければ、我れから願ひて人に成らん望みもなく、はじめは浮世に父母ある人うらやましく、我れも一人は母ありけり、今は何処《(いづこ)》に如何なることをしてと、そゞろに恋しきこともありしが、父が終りの悲しきを見るにも、我が渡辺の家の末をおもふにも、母が処業《しわざ》は悪魔に似たりとさへ恨まれける。
 父は無きか、母は如何にと問はるゝ毎《(ごと)》に、袖のぬれしは昔しなりけり、浮世に情なく人の心に誠なきものと思ひさだめてよりは、生中《なまなか》あはれをかくる人も、我れを嘲《(あざ)》けるやうに覚えて面《(つら)》にくし、いでや、つらからば一筋につらかれ、とてもかくても憂身《(うきみ)》のはてはとねぢけゆく心に、神も仏も敵とおもへば、恨みは誰れに訴へん、漸々《(やうやう)》尋常《なみ》ならぬ道に尋常《なみ》ならぬ思ひを馳せけり。
 おどろに乱れし髪のひまより、人を射るやうなる眼のきらきらと光るほかは、垢《あか》にまみれし面《(おも)》かげの、何処《(いづこ)》にはいかならん好《(よ
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