たる、女相撲のやうな老婆《ばゝ》さま有りき、六年前の冬の事寺參りの歸りに角兵衞の子供を拾ふて來て、いゝよ親方から八釜《やかま》しく言つて來たら其時の事、可愛想に足が痛くて歩かれないと言ふと朋輩の意地惡が置ざりに捨てゝ行つたと言ふ、其樣な處へ歸るに當るものか少《ちつ》とも怕《おつ》かない事は無いから私が家に居なさい、皆も心配する事は無い何の此子位のもの二人や三人、臺所へ板を並べてお飯《まんま》を喰べさせるに文句が入る物か、判證文を取つた奴でも欠落《かけおち》をするもあれば持逃げの吝な奴もある、了簡次第の物だわな、いはゞ馬には乘つて見ろさ、役に立つか立たないか置いて見なけりや知れはせん、お前新網へ歸るが嫌やなら此家《こゝ》を死場と極めて勉強をしなけりやあ成らないよ、しつかり遣つてお呉れと言ひ含められて、吉や/\と夫れよりの丹精今油ひきに、大人三人前を一手に引うけて鼻唄交り遣つて退ける腕を見るもの、流石に眼鏡と亡き老婆《ひと》をほめける。
 恩ある人は二年目に亡せて今の主も内儀樣も息子の半次も氣に喰はぬ者のみなれど、此處を死場と定めたるなれば厭やとて更に何方《いづかた》に行くべき、身は疳癪に筋骨つまつてか人よりは一寸法師一寸法師と誹《そし》らるゝも口惜しきに、吉や手前は親の日に腥《なまぐ》さを喰《やつ》たであらう、ざまを見ろ廻りの廻りの小佛と朋輩の鼻垂れに仕事の上の仇を返されて、鐵拳《かなこぶし》に張たほす勇氣はあれど誠に父母いかなる日に失せて何時を精進日とも心得なき身の、心細き事を思ふては干場の傘のかげに隱くれて大地を枕に仰向《あふの》き臥してはこぼるゝ涙を呑込みぬる悲しさ、四季押とほし油びかりする目くら縞の筒袖を振つて火の玉の樣な子だと町内に怕がられる亂暴も慰むる人なき胸ぐるしさの餘り、假にも優しう言ふて呉れる人のあれば、しがみ附いて取ついて離れがたなき思ひなり。仕事屋のお京は今年の春より此裏へと越して來し物なれど物事に氣才《きさい》の利きて長屋中への交際もよく、大屋なれば傘屋の者へは殊更に愛想を見せ、小僧さん達着る物のほころびでも切れたなら私の家へ持つてお出、お家は御多人數お内儀さんの針もつていらつしやる暇はあるまじ、私は常住仕事|疊紙《たゝう》と首つ引の身なれば本の一針造作は無い、一人住居の相手なしに毎日毎夜さびしくつて暮して居るなれば手すきの時には遊びにも來て下
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