はれて別るゝなれども夢いさゝか恨む事をばなすまじ、君はおのづから君の本地ありて其島田をば丸曲《まるまげ》にゆひかへる折のきたるべく、うつくしき乳房を可愛き人に含まする時もあるべし、我れは唯だ君の身の幸福なれかし、すこやかなれかしと祈りて此長き世をば盡さんには隨分とも親孝行にてあられよ、母御前《はゝごぜ》の意地わるに逆らふやうの事は君として無きに相違なけれどもこれ第一に心がけ給へ、言ふことは多し、思ふことは多し、我れは世を終るまで君のもとへ文の便りをたゝざるべければ、君よりも十通に一度の返事を與へ給へ、睡《ねぶ》りがたき秋の夜は胸に抱いてまぼろしの面影をも見んと、このやうの數々を並べて男なきに涙のこぼれるに、ふり仰向《あふのい》てはんけちに顏を拭ふさま、心よわげなれど誰れもこんな物なるべし、今から歸るといふ故郷の事養家のこと、我身の事お作の事みなから忘れて世はお縫ひとりのやうに思はるゝも闇なり、此時こんな場合にはかなき女心の引入られて、一生消えぬかなしき影を胸にきざむ人もあり、岩木のやうなるお縫なれば何と思ひしかは知らねども、涙ほろ/\こぼれて一ト言もなし。
 春の夜の夢のうき橋、と絶え
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