家の立はなれにくゝ、心わるきまゝ下宿屋あるきと思案をさだめても二週間と訪問《おとづれ》を絶ちがたきはあやし。
十年ばかり前にうせたる先妻の腹にぬひと呼ばれて、今の奧樣には繼《まゝ》なる娘《こ》あり、桂次がはじめて見し時は十四か三か、唐人髷《たうじんまげ》に赤き切れかけて、姿はおさなびたれども母のちがふ子は何處やらをとなしく見ゆるものと氣の毒に思ひしは、我れも他人の手にて育ちし同情を持てばなり、何事も母親に氣をかね、父にまで遠慮がちなれば自づから詞かずも多からず、一目に見わたした處では柔和しい温順《すなほ》の娘といふばかり、格別利發ともはげしいとも人は思ふまじ、父母そろひて家の内に籠り居にても濟むべき娘が、人目に立つほど才女など呼ばるゝは大方お侠《きやん》の飛びあがりの、甘やかされの我まゝの、つゝしみなき高慢より立つ名なるべく、物にはゞかる心ありて萬ひかへ目にと氣をつくれば、十が七に見えて三分の損はあるものと桂次は故郷のお作が上まで思ひくらべて、いよ/\おぬひが身のいたましく、伯母が高慢がほはつく/″\と嫌やなれども、あの高慢にあの温順なる身にて事なく仕へんとする氣苦勞を思ひやれば、せめては傍近くに心ぞへをも爲し、慰めにも爲《な》りてやり度と、人知らば可笑かるべき自ぼれも手傳ひて、おぬひの事といへば我が事のように喜びもし怒りもして過ぎ來つるを、見すてゝ我れ今故郷にかへらば殘れる身の心ぼそさいかばかりなるべき、あはれなるは繼子の身分にして、腑甲斐ないものは養子の我れと、今更のやうに世の中のあぢきなきを思ひぬ。
中
まゝ母育ちとて誰れもいふ事なれど、あるが中にも女の子の大方すなほに生たつは稀なり、少し世間並除け物の緩い子は、底意地はつて馬鹿強情など人に嫌はるゝ事この上なし、小利口なるは狡るき性根をやしなうて面かぶりの大變ものに成もあり、しやんとせし氣性ありて人間の質の正直なるは、すね者の部類にまぎれて其身に取れば生涯の損おもふべし、上杉のおぬひと言ふ娘《こ》、桂次がのぼせるだけ容貌《きりやう》も十人なみ少しあがりて、よみ書き十露盤《そろばん》それは小學校にて學びし丈のことは出來て、我が名にちなめる針仕事は袴の仕立までわけなきよし、十歳《とを》ばかりの頃までは相應に惡戲もつよく、女にしてはと亡き母親に眉根を寄せさして、ほころびの小言も十分に聞きし物なり
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