てお力の事につきて此後とやかく言ひませず、陰の噂しますまい故離縁だけは堪忍して下され、改めて言ふまでは無けれど私には親もなし兄弟もなし、差配の伯父さんを仲人なり里なりに立てゝ來た者なれば、離縁されての行き處とてはありませぬ、何うぞ堪忍して置いて下され、私は憎くかろうと此子に免じて置いて下され、謝りますとて手を突いて泣けども、イヤ何うしても置かれぬとて其後は物言はず壁に向ひてお初が言葉は耳に入らぬ體、これほど邪慳の人ではなかりしをと女房あきれて、女に魂を奪はるれば是れほどまでも淺ましくなる物か、女房が歎きは更なり、遂ひには可愛き子をも餓へ死させるかも知れぬ人、今詫びたからとて甲斐はなしと覺悟して、太吉、太吉と傍へ呼んで、お前は父さんの傍と母さんと何處《どちら》が好い、言ふて見ろと言はれて、我らはお父さんは嫌い、何にも買つて呉れない物と眞正直をいふに、そんなら母さんの行く處へ何處へも一處に行く氣かへ、あゝ行くともとて何とも思はぬ樣子に、お前さんお聞きか、太吉は私につくといひまする男の子なればお前も欲しからうけれど此子はお前の手には置かれぬ、何處までも私が貰つて連れて行きます、よう御座んすか貰ひまするといふに、勝手にしろ、子も何も入らぬ、連れて行きたくば何處へでも連れて行け、家も道具も何も入らぬ、何うなりともしろとて寐轉びしまゝ振向んともせぬに、何の家も道具も無い癖に勝手にしろもないもの、これから身一つになつて仕たいまゝの道樂なり何なりお盡しなされ、最ういくら此子を欲しいと言つても返す事では御座んせぬぞ、返しはしませぬぞと念を押して、押入れ探ぐつて何やらの小風呂敷取出し、これは此子の寐間着の袷、はらがけと三尺だけ貰つて行まする、御酒の上といふでもなければ、醒めての思案もありますまいけれど、よく考へて見て下され、たとへ何のやうな貧苦の中でも二人|双《そろ》つて育てる子は長者の暮しといひまする、別れれば片親、何につけても不憫なは此子とお思ひなさらぬか、あゝ腸《はらわた》が腐た人は子の可愛さも分りはすまい、もうお別れ申ますと風呂敷さげて表へ出れば早くゆけ/\とて呼かへしては呉れざりし。
八
魂祭《たままつ》り過ぎて幾日、まだ盆提燈のかげ薄淋しき頃、新開の町を出し棺二つあり、一つは駕《かご》にて一つはさし擔ぎにて、駕は菊の井の隱居處よりしのびやかに出ぬ、大路に見る人のひそめくを聞けば、彼の子もとんだ運のわるい詰らぬ奴に見込れて可愛さうな事をしたといへば、イヤあれは得心づくだと言ひまする、あの日の夕暮、お寺の山で二人立ばなしをして居たといふ確かな證人もござります、女も逆上《のぼせ》て居た男の事なれば義理にせまつて遣つたので御坐ろといふもあり、何のあの阿魔が義理はりを知らうぞ湯屋の歸りに男に逢ふたれば、流石に振はなして逃る事もならず、一處に歩いて話しはしても居たらうなれど、切られたは後袈裟《うしろげさ》、頬先《ほゝさき》のかすり疵、頸筋の突疵など色々あれども、たしかに逃げる處を遣られたに相違ない、引かへて男は美事な切腹、蒲團やの時代から左のみの男と思はなんだがあれこそは死花《しにばな》、ゑらさうに見えたといふ、何にしろ菊の井は大損であらう、彼の子には結構な旦那がついた筈、取にがしては殘念であらうと人の愁ひを串談に思ふものもあり、諸説みだれて取止めたる事なけれど、恨は長し人魂《ひとだま》か何かしらず筋を引く光り物のお寺の山といふ小高き處より、折ふし飛べるを見し者ありと傳へぬ。
[#地から2字上げ](明治二十八年九月「文藝倶樂部」)
底本:「日本現代文學全集 10 樋口一葉集」講談社
1962(昭和37)年11月19日第1刷発行
1969(昭和44)年10月1日第5刷発行
※底本中で「裕衣」と「浴衣」、「茶碗」と「茶椀」の混在が見られますが、底本通りとしました。
入力:青空文庫
校正:米田進、小林繁雄
1997年10月15日公開
2004年3月18日修正
青空文庫作成ファイル:
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