こそ美くしいや、廓内《なか》の大卷《おほまき》さんよりも奇麗だと皆がいふよ、お前が姉であつたら己れは何樣《どんな》に肩身が廣かろう、何處へゆくにも追從《つい》て行つて大威張りに威張るがな、一人も兄弟が無いから仕方が無い、ねへ美登利さん今度一處に寫眞を取らないか、我れは祭りの時の姿《なり》で、お前は透綾《すきや》のあら縞で意氣な形《なり》をして、水道尻の加藤でうつさう、龍華寺の奴が浦山しがるやうに、本當だぜ彼奴は岐度怒るよ、眞青に成つて怒るよ、にゑ肝《かん》だからね、赤くはならない、夫れとも笑ふかしら、笑はれても構はない、大きく取つて看板に出たら宜いな、お前は嫌やかへ、嫌やのやうな顏だものと恨めるもをかしく、變な顏にうつるとお前に嫌《き》らはれるからとて美登利ふき出して、高笑ひの美音に御機嫌や直りし。
 朝冷《あさすゞ》はいつしか過ぎて日かげの暑くなるに、正太さん又晩によ、私の寮へも遊びにお出でな、燈籠ながして、お魚追ひましよ、池の橋が直つたれば怕い事は無いと言ひ捨てに立出る美登利の姿、正太うれしげに見送つて美くしと思ひぬ。

       七

 龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人ながら學校は育英舍なり、去りし四月の末つかた、櫻は散りて青葉のかげに藤の花見といふ頃、春季の大運動會とて水の谷《や》の原にせし事ありしが、つな引、鞠なげ、繩とびの遊びに興をそへて長き日の暮るゝを忘れし、其折の事とや、信如いかにしたるか平常の沈着《おちつき》に似ず、池のほとりの松が根につまづきて赤土道に手をつきたれば、羽織の袂も泥に成りて見にくかりしを、居あはせたる美登利みかねて我が紅の絹はんけちを取出し、これにてお拭きなされと介抱をなしけるに、友達の中なる嫉妬《やきもち》や見つけて、藤本は坊主のくせに女と話をして、嬉しさうに禮を言つたは可笑しいでは無いか、大方美登利さんは藤本の女房《かみさん》になるのであらう、お寺の女房なら大黒さまと言ふのだなどゝ取沙汰しける、信如元來かゝる事を人の上に聞くも嫌ひにて、苦き顏して横を向く質なれば、我が事として我慢のなるべきや、夫れよりは美登利といふ名を聞くごとに恐ろしく、又あの事を言ひ出すかと胸の中もやくやして、何とも言はれぬ厭やな氣持なり、さりながら事ごとに怒りつける譯にもゆかねば、成るだけは知らぬ躰をして、平氣をつくりて、むづかしき顏をして遣り過ぎる心なれど、さし向ひて物などを問はれたる時の當惑さ、大方は知りませぬの一ト言にて濟ませど、苦しき汗の身うちに流れて心ぼそき思ひなり、美登利はさる事も心にとまらねば、最初《はじめ》は藤本さん藤本さんと親しく物いひかけ、學校退けての歸りがけに、我れは一足はやくて道端に珍らしき花などを見つくれば、おくれし信如を待合して、これ此樣《こんな》うつくしい花が咲てあるに、枝が高くて私には折れぬ、信さんは背が高ければお手が屆きましよ、後生折つて下されと一むれの中にては年長《としかさ》なるを見かけて頼めば、流石に信如袖ふり切りて行すぎる事もならず、さりとて人の思はくいよ/\愁《つ》らければ、手近の枝を引寄せて好惡《よしあし》かまはず申譯ばかりに折りて、投つけるやうにすたすたと行過ぎるを、さりとは愛敬の無き人と惘《あき》れし事も有しが、度かさなりての末には自ら故意《わざと》の意地惡のやうに思はれて、人には左もなきに我れにばかり愁らき處爲《しうち》をみせ、物を問へば碌な返事した事なく、傍へゆけば逃げる、はなしを爲れば怒る、陰氣らしい氣のつまる、どうして好いやら機嫌の取りやうも無い、彼のやうな六づかしやは思ひのまゝに捻黷ト怒つて意地わるが爲たいならんに、友達と思はずば口を利くも入らぬ事と美登利少し疳にさはりて、用の無ければ摺れ違ふても物いふた事なく、途中に逢ひたりとて挨拶など思ひもかけず、唯いつとなく二人の中に大川一つ横たはりて、舟も筏も此處には御法度、岸に添ふておもひおもひの道をあるきぬ。
 祭りは昨日に過ぎて其あくる日より美登利の學校へ通ふ事ふつと跡たえしは、問ふまでも無く額の泥の洗ふても消えがたき恥辱を、身にしみて口惜しければぞかし、表町とて横町とて同じ教場におし並べば朋輩に變りは無き筈を、をかしき分け隔てに常日頃意地を持ち、我れは女の、とても敵ひがたき弱味をば付目にして、まつりの夜の處爲《しうち》はいかなる卑怯ぞや、長吉のわからずやは誰れも知る亂暴の上なしなれど、信如の尻おし無くば彼れほどに思ひ切りて表町をば暴《あら》し得じ、人前をば物識《ものしり》らしく温順《すなほ》につくりて、陰に廻りて機關《からくり》の糸を引しは藤本の仕業に極まりぬ、よし級は上にせよ、學《もの》は出來るにせよ、龍華寺さまの若旦那にせよ、大黒屋の美登利紙一枚のお世話にも預からぬ物を、あのやうに乞食呼はりして貰ふ恩は
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