るもの日々に疎ければ、名物一つかげを消して二度目の花は紺屋の乙娘、今千束町に新つた屋の御神燈ほのめかして、小吉と呼ばるゝ公園の尤物《まれもの》も根生ひは同じ此處の土成し、あけくれの噂にも御出世といふは女に限りて、男は塵塚さがす黒斑《くろぶち》の尾の、ありて用なき物とも見ゆべし、此界隈に若い衆と呼ばるゝ町並の息子、生意氣ざかりの十七八より五人組、七人組、腰に尺八の伊達はなけれど、何とやら嚴めしき名の親分が手下《てか》につきて、揃ひの手ぬぐひ長提燈、賽ころ振る事おぼえぬうちは素見《ひやかし》の格子先に思ひ切つての串戲も言ひがたしとや、眞面目につとむる我が家業は晝のうちばかり、一風呂浴びて日の暮れゆけば突かけ下駄に七五三の着物、何屋の店の新妓《しんこ》を見たか、金杉の糸屋が娘に似て最う一倍鼻がひくいと、頭腦《あたま》の中を此樣な事にこしらへて、一軒ごとの格子に烟草の無理どり鼻紙の無心、打ちつ打たれつ是れを一世の譽と心得れば、堅氣の家の相續息子地廻りと改名して、大門際に喧嘩かひと出るもありけり、見よや女子《をんな》の勢力《いきほひ》と言はぬばかり、春秋しらぬ五丁町の賑ひ、送りの提燈《かんばん》いま流行らねど、茶屋が廻女《まはし》の雪駄のおとに響き通へる歌舞音曲、うかれうかれて入込む人の何を目當と言問はゞ、赤ゑり赭熊《オやぐま》に裲襠《うちかけ》の裾ながく、につと笑ふ口元目もと、何處が美《よ》いとも申がたけれど華魁衆《おいらんしゆ》とて此處にての敬ひ、立はなれては知るによしなし、かゝる中にて朝夕を過ごせば、衣《きぬ》の白地の紅に染む事無理ならず、美登利の眼の中に男といふ者さつても怕からず恐ろしからず、女郎といふ者さのみ賤しき勤めとも思はねば、過ぎし故郷を出立の當時ないて姉をば送りしこと夢のやうに思はれて、今日此頃の全盛に父母への孝養うらやましく、お職を徹す姉が身の、憂いの愁《つ》らいの數も知らねば、まち人戀ふる鼠なき格子の咒文、別れの背中に手加減の祕密《おく》まで、唯おもしろく聞なされて、廓ことばを町にいふまで去りとは恥かしからず思へるも哀なり、年はやう/\數への十四、人形抱いて頬ずりする心は御華族の御姫樣とて變りなけれど、修身の講義、家政學のいくたても學びしは學校にてばかり、誠あけくれ耳に入りしは好いた好かぬの客の風説《うはさ》、仕着せ積み夜具茶屋への行わたり、派手は美事に
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