なれど、さし向ひて物などを問はれたる時の當惑さ、大方は知りませぬの一ト言にて濟ませど、苦しき汗の身うちに流れて心ぼそき思ひなり、美登利はさる事も心にとまらねば、最初《はじめ》は藤本さん藤本さんと親しく物いひかけ、學校退けての歸りがけに、我れは一足はやくて道端に珍らしき花などを見つくれば、おくれし信如を待合して、これ此樣《こんな》うつくしい花が咲てあるに、枝が高くて私には折れぬ、信さんは背が高ければお手が屆きましよ、後生折つて下されと一むれの中にては年長《としかさ》なるを見かけて頼めば、流石に信如袖ふり切りて行すぎる事もならず、さりとて人の思はくいよ/\愁《つ》らければ、手近の枝を引寄せて好惡《よしあし》かまはず申譯ばかりに折りて、投つけるやうにすたすたと行過ぎるを、さりとは愛敬の無き人と惘《あき》れし事も有しが、度かさなりての末には自ら故意《わざと》の意地惡のやうに思はれて、人には左もなきに我れにばかり愁らき處爲《しうち》をみせ、物を問へば碌な返事した事なく、傍へゆけば逃げる、はなしを爲れば怒る、陰氣らしい氣のつまる、どうして好いやら機嫌の取りやうも無い、彼のやうな六づかしやは思ひのまゝに捻黷ト怒つて意地わるが爲たいならんに、友達と思はずば口を利くも入らぬ事と美登利少し疳にさはりて、用の無ければ摺れ違ふても物いふた事なく、途中に逢ひたりとて挨拶など思ひもかけず、唯いつとなく二人の中に大川一つ横たはりて、舟も筏も此處には御法度、岸に添ふておもひおもひの道をあるきぬ。
祭りは昨日に過ぎて其あくる日より美登利の學校へ通ふ事ふつと跡たえしは、問ふまでも無く額の泥の洗ふても消えがたき恥辱を、身にしみて口惜しければぞかし、表町とて横町とて同じ教場におし並べば朋輩に變りは無き筈を、をかしき分け隔てに常日頃意地を持ち、我れは女の、とても敵ひがたき弱味をば付目にして、まつりの夜の處爲《しうち》はいかなる卑怯ぞや、長吉のわからずやは誰れも知る亂暴の上なしなれど、信如の尻おし無くば彼れほどに思ひ切りて表町をば暴《あら》し得じ、人前をば物識《ものしり》らしく温順《すなほ》につくりて、陰に廻りて機關《からくり》の糸を引しは藤本の仕業に極まりぬ、よし級は上にせよ、學《もの》は出來るにせよ、龍華寺さまの若旦那にせよ、大黒屋の美登利紙一枚のお世話にも預からぬ物を、あのやうに乞食呼はりして貰ふ恩は
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