長吉め、三ちやんを何故ぶつ、あれ又引たほした、意趣があらば私をお撃ち、相手には私がなる、伯母さん止めずに下されと身もだへして罵れば、何を女郎《ぢよらう》め頬桁たゝく、姉の跡つぎの乞食め、手前の相手にはこれが相應だと多人數《おほく》のうしろより長吉、泥|草鞋《ざうり》[#「草鞋《ざうり》」はママ]つかんで投つければ、ねらひ違はず美登利が額際にむさき物したゝか、血相かへて立あがるを、怪我でもしてはと抱きとむる女房、ざまを見ろ、此方には龍華寺の藤本がついて居るぞ、仕かへしには何時でも來い、薄馬鹿野郎め、弱虫め、腰ぬけの活地《いくぢ》なしめ、歸りには待伏せする、横町の闇に氣をつけろと三五郎を土間に投出せば、折から靴音たれやらが交番への注進今ぞしる、それと長吉聲をかくれば丑松文次その余の十餘人、方角をかへてばら/\と逃足はやく、拔け裏の露路にかゞむも有るベし、口惜しいくやしい口惜しい口惜しい、長吉め文次め丑松め、なぜ己れを殺さぬ、殺さぬか、己れも三五郎だ唯死ぬものか、幽異《いうれい》になつても取殺すぞ、覺えて居ろ長吉めと湯玉のやうな涙はら/\、はては大聲にわつと泣き出す、身内や痛からん筒袖の處々引さかれて背中も腰も砂まぶれ、止めるにも止めかねて勢ひの悽まじさに唯おど/\と氣を呑まれし、筆やの女房走り寄りて抱きおこし、背中をなで砂を拂ひ、堪忍をし、堪忍をし、何と思つても先方は大勢、此方は皆よわい者ばかり、大人でさへ手が出しかねたに叶はぬは知れて居る、夫れでも怪我のないは仕合、此上は途中の待ぶせが危ない、幸ひの巡査《おまはり》さまに家まで見て頂かば我々も安心、此通りの子細で御座ります故と筋をあら/\折からの巡査に語れば、職掌がらいざ送らんと手を取らるゝに、いゑ/\送つて下さらずとも歸ります、一人で歸りますと小さく成るに、こりや怕い事は無い、其方の家まで送る分の事、心配するなと微笑を含んで頭《つむり》を撫でらるゝに彌々ちゞみて、喧嘩をしたと言ふと親父《とつ》さんに叱かられます、頭《かしら》の家は大屋さんで御座りますからとて凋《しを》れるをすかして、さらば門口まで送つて遣る、叱からるゝやうの事は爲ぬわとて連れらるゝに四隣《あたり》の人胸を撫でゝはるかに見送れば、何とかしけん横町の角にて巡査の手をば振はなして一目散に逃げぬ。
六
めづらしい事、此炎天に雪が降りはせぬ
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