成つては駟馬《しめ》も及ばずです、植村も可愛想な事でした、とて下を向いて歎息の聲を洩らすに、どうも何とも、私は悉皆《しツかい》世上の事に疎しな、母もあの通りの何であるので、三方四方埓も無い事に成つてな、第一は此娘《これ》の氣が狹いからではあるが、否植村も氣が狹いからで、何うも此樣な事になつて仕舞つたで、私等《わしども》二人が實に其方に合はせる顏も無いやうな仕義でな、然し雪をも可愛想と思つて遣つて呉れ、此樣な身に成つても其方への義理ばかり思つて情ない事を言ひ出し居る、多少教育も授けてあるに狂氣するといふは如何にも恥かしい事で、此方から行くと家の恥辱にも成る實に憎むべき奴ではあるが、情實を汲んでな、これほどまで操といふものを取止めて置いただけ憐んで遣つて呉れ、愚鈍ではあるが子供の時から是れといふ不出來しも無かつたを思ふと何か殘念の樣にもあつて、誠の親馬鹿といふので有らうが平癒《なほ》らぬほどならば死ねとまでも諦がつきかねる物で、餘り昨今忌はしい事を言はれると死期が近よつたかと取越し苦勞をやつてな、大塚の家には何か迎ひに來る物が有るなどゝ騷ぎをやるにつけて母が詰らぬ易者などにでも見て貰つたか、愚な話しではあるが一月のうちに生命が危ふいとか言つたさうな、聞いて見ると餘り心よくも無いに當人も頻と嫌がる樣子なり、ま、引移りをするが宜からうとて此處を探させては來たが、いや何うも永持はあるまいと思はれる、殆毎日死ぬ死ぬと言て見る通り人間らしい色艶もなし、食事も丁度一週間ばかり一粒も口へ入れる事が無いに、夫ればかりでも身體の疲勞が甚しからうと思はれるので種々《いろ/\》に異見も言ふが、何うも病ひの故であらうか兎角に誰れの言ふ事も用ひぬには困りはてる、醫者は例の安田が來るので斯う素人まかせでは我まゝ計《ばかり》つのつて宜く有るまいと思はれる、私の病院へ入れる事は不承知かと毎々聞かれるのであるが、夫れも何う有らうかと母などは頻にいやがるので私も二の足を蹈んで居る、無論病院へ行けば自宅と違つて窮屈ではあらうが、何分此頃飛出しが始まつて、私などは勿論太吉とqと二人ぐらゐの力では到底引とめられぬ働きをやるからの、萬一井戸へでも懸られてはと思つて、無論蓋はして有るが徃來へ飛出されても難義至極なり、夫等を思ふと入院させやうとも思ふが何か不憫らしくて心一つには定めかねるて、其方に思ひ寄も有らば言つて
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