げなれど、乘り居たるは三十計の氣の利きし女中風と、今一人は十八か、九には未だと思はるゝやうの病美人、顏にも手足にも血の氣といふもの少しもなく、透きとほるやうに蒼白きがいたましく見えて、折から世話やきに來て居たりし、差配が心に、此人《これ》を先刻《さき》のそゝくさ[#「そゝくさ」に傍点]男が妻とも妹とも受とられぬと思ひぬ。
荷物といふは大八に唯一くるま來たりしばかり、兩隣にお定めの土産は配りけれども、家の内は引越らしき騷ぎもなく至極ひつそりとせし物なり。人數は彼のそゝくさに此女中と、他には御飯たきらしき肥大女《ふとつてう》および、その夜に入りてより車を飛ばせて二人ほど來たりし人あり、一人は六十に近かるべき人品よき剃髮の老人、一人は妻なるべし對するほどの年輩《とし》にてこれは實法《じばふ》に小さき丸髷をぞ結ひける、病みたる人は來るよりやがて奧深に床を敷かせて、括り枕に頭《つむり》を落つかせけるが、夜もすがら枕近くにありて悄然《しよんぼり》とせし老人二人の面《おも》やう、何處やら寢顏に似た處のあるやうなるは、此娘《このこ》の若しも父母にては無きか、彼のそゝくさ男を始めとして女中ども一同旦那さま御新造樣《ごしんぞさま》と言へば、應々《おい/\》と返事して、男の名をば太吉々々と呼びて使ひぬ。
あくる朝風すゞしきほどに今一人車を乘りつけゝる人の有けり、紬《つむぎ》の單衣に白ちりめんの帶を卷きて、鼻の下に薄ら髯のある三十位のでつぷりと太《ふとり》て見だてよき人、小さき紙に川村太吉《かはむらたきち》と書て張りたるを讀みて此處だ/\と車よりおりける、姿を見つけて、おゝ番町の旦那樣とお三どんが眞先に襷をはづせば、そゝくさは飛出していやお早いお出、よく早速おわかりに成りましたな、昨日まで大塚にお置き申したので御座りますが何分|最早《もう》、その何だか頻に嫌にお成りなされて何處へか行かう行かうと仰しやる、仕方が御座りませぬで漸《やつ》とまあ此處をば見つけ出しまして御座ります、御覽下さりませ一寸こうお庭も廣う御座りますし、四隣《まはり》が遠うござりますので御氣分の爲にも良からうかと存じまする、はい昨夜はよくお眠《やすみ》に成ましたが今朝ほどは又少しその、一寸御樣子が變つたやうで、ま、いらしつて御覽下さりませと先に立て案内をすれば、心配らしく髭をひねりて奧の座敷に通りぬ。
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