人形芝居に関するノオト
竹内勝太郎
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)御目見得《デヴイユ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)それは「|神聖な喜劇《デイヴイナ・コメデイア》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]
−−
[#地から2字上げ]「詩は僕の鏡である。」 ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レリー
巴里シャン・ゼリゼェの林のなかに二つの小屋があって、今でも日曜祭日毎に昔ながらのギニョール、手套式の人形芝居が学校や家庭から解放された子供達を喜ばせて居る。その小さい粗末な舞台で演じられる人形の所作を見て少年等は笑い興じ、手を拍って、現実の世界を忘れて居る。それ等の活きいきした声を聞けば何人も遠く、幼い日の生活を思い出さずにはいられないだろう。私は室内に籠居する仕事の疲れを休める為に、秋の晴れた午後はよく街や郊外の森を散歩して廻ったが、その途すがら運よくこの人形の小屋が開いているのに出会うと、度々その前に立止ったものだった。元よりそれは全く単純で貧しい技術を持った人形芝居に過ぎない。然し誰がそれを軽蔑し得よう。少年ゲーテが故郷フランクフルトで旅廻りの人形芝居を見た印象から、後年あの大作「ファウスト」を書いたように、此の巴里のギニョールも沢山の仏蘭西少年の心のなかに、人類の至宝ともなるべき大きな夢を今現に育てつつあるのかも知れない。
*
欧羅巴では現在の処一般に人形芝居は子供の為めのものとされているが必らずしもそうではない。大人も之れを見て楽しんだことは東洋諸国と共に歴史が古い。伊太利では遠く羅馬時代から相当立派な人形芝居が存在していた。下って十六七世紀にはベニス、ボロニヤ、ミラノ、ナポリ等の土地にそれぞれの人形芝居が発達していた。之れは糸操りの人形である。それが近代に入って殆ど衰滅に瀕していたのが復興され、再生されてピッコリ座となり、一九二八年の冬のシーズンに華々しく巴里に御目見得《デヴイユ》した。
之れはよく統制された組織と熟達した技術とを持って居り、然も優勢な近代劇術(照明と舞台装置)と音楽とを伴っていたので、忽ち巴里劇壇の一部を席捲して、確固とした地
次へ
全5ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
竹内 勝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング