曩に岩波書店が一円本として出版した『漱石全集』中に無断で入れたので、大倉が漱石の遺族と岩波書店主人とを共同被告人として、著作権侵害の訴訟を起し、損害賠償金三万余円を出せと云う事件である
漱石の遺族などは論ずるに足りない、岩打つ波[#「岩」と「波」に圏点]は狂瀾の相、東京の出版屋中で、比較的信用のあった岩波書店ですら此醜怪事あり、他は推して察すべしだ
円本著訳者の悖徳
出版屋の無謀に合意し、暴挙にクミした著訳者にはロクな者なしである、見識や徳義を有する者は一人もない、曾て三円五円の定価で売らせた物を、原版者に交渉もせず一円本の中に入れさせて印税を貪る二重転売者、既に他人の翻訳で刊行されて居る物を、著作権侵害の訴訟を免れんとして、文章を改作したに過ぎない剽窃受負者、偶ま原書に就いて翻訳する者にしても、其無学なるが故に原語を解せず訳語を知らずで、意義不可解な誤訳だらけの物を平気で出版させた者、又著作者としての行為で最も不徳を極めた者は、利口不食《きくちくわん》ではなく破廉恥漢なりと呼ばれた泥仕合の総大将である
中にはイクラか真面目な者もないではないが、概して円本の著訳者は不正不義不道不徳の小人バラ、出版屋を臓物故買犯者、著訳者を背信、偽作、剽窃の常習犯者と見れば大差なしである
図書尊重の念を薄からしむ
古珍書を骨董品視する玩物喪志の輩は例外とし、総て所蔵の図書に対しては尊重の念がなくばならぬ、明晢の論叢、絢爛の文藻も、其著作者の性格を崇敬して感化を受け教導を受ける所に蔵書の価値があるもの、それが一円本流行の後はドーであろう、往年三円五円で買った物が、一円本の中に包含されて、物的価値の損亡に帰した時の怨嗟、著者の利己一遍たる不徳行為に原因するもの、図書尊重の念を薄からしめると共に、著者崇敬の念も亦薄くサメざるを得ないではないか
円本礼讃者は文運促進とか文学普及とか云って居るが、果して文運促進か否か、果して文学普及か否かは別に記するが、仮りに促進であり普及であるにしても、一方に此尊重心減損、崇敬心潰滅の害を与えつつありては、図書本来の使命たる教化も育成もダイナシではないか
予約出版の信を失わしむ
円本の予約出版と称した事は、旧慣破壊の一害であった、いずれも「入会御申込みの際は予約金として金一円御送り下さい、これは最終の会費にあてます、中途で退会さるる御方には返金致しませ
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