つた。
子供は誰かこゝに囚はれた人を迎へに來た。
その妻がつれて來たのだ。
俺はこの若い犯人の心の裏を云ふのは廢めよう。
餘りにわかり過ぎてゐる。
その前の晩だ。
往來で三十錢許り入つてゐた蟇口を拾つて、
つかひもしない内に捕つて、
四日間とらはれてゐた勞働者が放還された、
彼は妻が子供をつれて遠い町から朝早く
「貰らひ」に來た時の事を俺に話した。
放還される前の晩の隱し抑へた嬉しさから、
俺に話した。
子供にこんな所を見られたのが恥しいと云つてゐた。
そしてこゝを出たら妻や子をうんと喜ばしてやると、
腹の底から平和と團欒に餓ゑた若い勞働者は、
目の前に見える放免を喜んで、
驚く程の親切を本當の良心から俺に示してくれた。
然うして「十日や十五日は何でも無い、あの人は君十三年だよ」
と云つて笑つた。
あゝ俺は忘られ無い、
あの十三年行つた男が、
雨、風にさらされ、あらゆるものに虐げられ、
戰つて來た兩手の筋を力を罩めてさすり乍ら、
その蒼褪めた兩手を眺めつゝ誰に云ふとも無く、
「もうすつかり駄目になつてしまつた」と云つて、
自分の體をかこつたのを、
然うして牢に馴れた人のやうに體を運動させるのを。
自分は思つた。此人も子供の時があつたのだ。
白い手を見た時に恐らく彼も思つたらう。
あの人にも御母さんがあつたのだ。
さうして自分の子供のやうに、
矢張り御母さんを慕ひ御母さんも彼をどんなに可愛がり、
神樣以外のものには指もさゝせず育てられた事があるのだ。
この顏色の惡い夜の人、人々に嫌はれ、忌まれる癈れた人が、
然うだ。十三年も行けば、(十三年と云へば長い月日だ)
牢で病死をしないとも限ら無いこの哀れな罪人が、
あゝ神よ、彼を哀れみ給へ。彼を救ひ給へ。
凡ての哀れ極る罪人を救ひ給へ。
自分は彼を見た。どこに責む可きところがある。
その子供のやうな好奇心の強い、眼を輝して、
膝頭で立つて腰を浮かせて牢の外で何か起ると、
盜みに入る時のやうに眼を据ゑ切つて、覗き窺ひ、
耳をすませるこの野生の狼、
自分は忘られ無い、
かの年寄りと若い犯人が、
同じ一つの法則によつて動いてゐたのを、
夜寢る刻限が來ると、
二人は今日か昨日入つた許りの同室の者達に構はずに、
さつさと投げこまれた寢床をのべて
二人竝んでぐつすりいそいで眠つたのを
さうだ、
一日でも早く消えてゆく事はどんな喜びだらう
一日も終つた、もう考へる事は無い
明日は何か變化があるだらう
自分には見えるやうだ。
あの小柄の老人が
若い犯人の側に目だたない位つゝましく默つてくつついて
捨てられるのでも恐れるやうに
申し合はしたやうに、
寢床へいそいで飛び込む姿が
さうしてあの若い犯人はこゝではたしかに老人の保護者だ。
彼は老人より罪が重いから。
老人は彼を自分の子供のやうに慕ふのだ。
身も心も彼の側を離れられ無いのだ。
一人となるのはこゝでは恐いのだ。
あゝ何と云ふ美だ。
癈れた者にこの美があるのだ。
觸はつたらたまら無い美がもうもろく露骨になつてゐるのだ。
自分はもう書けない。
書かなくてもいゝ、[#地から1字上げ](十一月二日)
雨
雨が降る、安らかに恙なく
天から地に屆く
人通りはまるで無い。自分一人だ。
店々は燈をかゝげ、人が坐り、
永遠に然うして居るものゝやうに見える。
本當にどこに恐れや暗さがある。
雨は往來にさした燈の中に美くしい姿を見せて
濛々とした薄闇の世界へ音も無く消えて行く。安らかだ。
ゴト/\と荷馬車が一臺向ふ側を通る。
實に靜かだ。音も無く雨は降る。
小景
今日は馬鹿に寒い、雪か霙でも降り出し相だ。
出しぬけに冬が來たのだ。
日が出かけようとして出られ無いで居る。
出かけ相にしては隱れてしまふ。
人がいそぎ足に澤山通る。女と子供が多い。
皆んな饒舌つて行く、寒いのに皆んな驚いて居る。
日が出るのを一樣に期待して居る。
母親の脊中で子供が
初めて此冬に出會つた連中だらう
未だ赤ん坊臭い泣き聲がすつかりとれない
わけのわからない聲でむづかつて行く
時々男の聲も交る。
寒いので皆んな急ぎ足だ。かけ足だ。
用を足しに家を一寸明けて出た人々と云ふ氣がする。
家の中から聞いて居ると面白い。
一しきり往來は子供と女達の聲で賑はつて。
軈てまるでちがつてしまふ。
誰も通ら無くなる。
變な氣がする。そこは通り過ぎてしまつたやうに。
人類生存の一くさりだ。
どん/\變つて行く。
[#地から1字上げ](十一月七日)
立ち話し
急いで家へ歸つて來る途中で
もう暗かつた。妻に出會つた。
二人は用を話し合つた。
妻は自分に子供を注意した
成程、見れば妻の顏のうしろに
ねんねこの蔭にしつかりと窮屈な位包れて、
枝になつた果實のやうにかつちり引きしまつた小さな顏が、
默つ
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