家々から町から、人間から遠ざかる。
然うして人々は
その工場から、役所から一日の仕事から
開放されて
わが家に歸つて來る喜びと
一日の終りの疲れと悲しみが町の上に交り合ふ。

赤ん坊を抱いて夫を迎へに行く妻が幾組も通る
酒を買ひに行く女が通る。ざるや皿を持つた女が通る
魚屋の前にはそれぞれ特色のある異樣な一杯な人がたかり
ごたかへす道の上には初冬の青い靄が立ち
用のすんだ大きな荷馬車が忙しなくゴロゴロ通り
晝間の暖さを一杯身の内に吸ひ込んだ小供等の
興奮して燥ぎ廻る金切聲が
透明な月の薄く現はれた空に
一つづゝ浮んでは、胸に殘つて一つも聞えなくなる苦るしさ。

一つづゝ星はあらはれ、下界目がけて搖れ來り
だん/\人の顏が見えなくなるに連れて
月は光を加へ、高くなり
人の姿は異形となり、燈の數は赤ん坊のやうに殖え
あちら、こちらで空氣を轟かして
いそがし相に戸を閉ざす音が
天の扉が閉ぢられる樣に鳴り渡り
歸り遲れた人々は興奮してせつかちに
たち籠めた闇の中を
大きな音を立てゝ飛ぶ樣に通つて行く。

もう町には小供等は馳け廻ら無い。
ところどころに路上には薄茫んやりと
今夜の宿を求める勞働者が佇んで居て
最うぢき冬が來るけはひが
天にも地にも星の息にも人の上にも感じられる。
然し或る横丁の、湯屋の煙突からは
時を得顏に惡どい元氣づいた煙が寒い空氣にふれて息のやうに立ち騰り
賑やかな人聲、赤ん坊の泣きわめく聲が湧き起りうす汚ない朧ななりをしたそこら界隈の
男や女が小供を肩車に乘せたり
三人も五人も一人でゾロ/\引張つたり
火事で燒き出された人のやうに
小供の着替やむつきを兩の小脇に一杯抱へて
恐ろしい路次の闇から異形な風で現はれ
赤い燈火が滲みもう/\と暖い煙の蒸しこめた
錢湯へ吸ひこまれて行く。

然うして月は暗さうに切口を輝かし
星は下界に近づいて、揃ひも揃つて大粒な奴が、
すぐ屋根の上に異形に輝いて
好奇心で下界を覗き込み
人間の頭の中は何かかぶさつて來て、眼の見えぬ樣に暗くなり
心のしん許りが猫の眼のやうに光り出し、小さな焔を燃やし、
夜は更けて行き
凡てのものを美くしく、もろく、果敢なく、貴い、
整然とした他界のものゝやうに並べて見せ
夜の祕密は大きな重々しい混沌とした土塊の中に一杯附着したダイヤモンドのやうに
暗きを好んで異樣に輝き
燈の中に浮んで來る人の顏
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