をのへ[#「の」に傍線]、我《ワ》が家《イヘ》―わぎへ[#「ぎ」に傍線]、漕ぎ出《イ》で―こぎで[#「ぎ」に傍線])。これは、語頭の母音と語尾音の終の母音と二つの母音が並んであらわれる場合にその内の一つが脱落したので、古代語において母音がつづいてあらわれるのを避ける傾向があったことを示すものである。「にあり」「てあり」「といふ」が、「なり」「たり」「とふ」となるのも同様の現象である。「我《わ》は思《も》ふ」「我《われ》はや餓《ゑ》ぬ」など連語においても、これと同種の現象がある。かようなことは当時は比較的自由に行われたらしい。
三 第二期の音韻
平安朝の初から、室町時代(安士桃山時代をも含ませて)の終にいたる約八百年の間である。この間の音韻の状態を明らかにすべき根本資料としては、平安朝初期には万葉仮名で書かれたものがかなりあるが、各時代を通じては主として平仮名で書かれたものであって、この期の諸音韻は、大抵は平仮名・片仮名で代表させることが出来る。そうして、平安朝初期に作られその盛時まで世に行われた「あめつち」の頌文《しょうぶん》(四十八字)およびその後これに代って用いられ
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