わるようになった。ただし、クヰクヱグヰグヱ[#「ヰ」「ヱ」は全て小文字]は鎌倉時代以後、漸次キ・ケ・ギ・ゲに変じて消失した。
 (九) パピプペポの音は、奈良朝においては多分正常な音韻としては存在しなかったであろう、しかるに、漢語においては、入声音またはンにつづくハ行音はパピプペポの音であったものと思われる(「一遍《イッペン》」「匹夫《ヒップ》」「法被《ハッピ》」「近辺《キンペン》」など)。かような漢語が平安朝以後、国語中に用いられるようになりまた一方純粋の国語でも、「あはれ」「もはら」を強めていった「あつぱれ」「もつぱら」などの形が平生に用いられるようになって、パ行音が国語の音韻の中に入った。
 (十) 「ち」「ぢ」「つ」「づ」の音は奈良朝においては<ti><di><tu><du>であったが、室町末においてはchi(〔t※i[#「※」は発音記号。「s」を縦に長くした形のもの、163−11]〕)dji(〔d※i[#「※」は発音記号。「ろ」に似た形のもの、163−11]〕)<tsu><dzu>になった(すなわち「ち」「つ」は現今の音と同音、「ぢ」「づ」は正しく今のチツの濁音、すなわち有声音にあたる)。その変化の起った時代は、まだ的確にはわからないが、鎌倉時代に入った支那語、すなわち宋音の語において「知客《シカ》」の「知」また「帽子《モウス》」の「子」のごとき、支那のt※i[#「※」は発音記号。「s」を縦に長くした形のもの、163−14](現代のチの音とほぼ同じ)またはtsu[#「u」の上に「v」](現代のツの音に似た音)のような音がチ・ツとならずしてシ・スとなっているのは、当時チ・ツが今のような音でなくして、<ti><tu>のような音であったためとおもわれるから、鎌倉時代には大体もとの音を保っていたので吉野時代以後に変じたものかと思われる。
 (十一) 前に述べたように、我が国古代には、母音一つで成立つ音は語頭以外に来ることはほとんどなく、ただ、イ音ウ音の場合に少数の例外があるに過ぎなかった。しかるに第二期に入ってからは、前述のごとき種々の音変化の結果、語の中間または末尾の音でiまたはu音になったものがあり、また、漢語においては、もとより語尾にiまたはuが来るものが少なくなかったが、平安朝以後漢語が多く国語中に用いられると共にかような音も頻《しきり》に用いられ、自然イ
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