ある)。ただ、「う」と書かれたものの大部分は、後に鼻音を脱却して純粋のウ音になったが、そうでないものは、後までもン音として残っただけの相違であろう。とにかく、かようなン音は、国語の音韻としてはこれまでなかったのが、音便によって発生して、平安朝頃から新しく国語に用いられるようになったのである。また促音も同様に音便によって生じて国語の音韻に加わった。
 (七) 支那における漢字の正しい発音としては<m><n><ng>のような鼻音や<p><t><k>で終るものいわゆる入声音《にっしょうおん》があった。しかしこれは漢字の正式の読み方として我が国に伝わったのであって、古くから日本語に入った漢語においては、もっと日本化した音になっていたであろうが、しかし正しい漢文を学ぶものには、この支那の正しい読方が平安朝に入っても伝わっていた。しかるにその後支那との公の交通が絶えて、漢語の知識が不確かになると共に、発音も少しずつ変化して、院政時代から鎌倉時代になると、次第にそのmとnとの区別がなくなって「ン」音に帰し(「覧」「三」「点」などの語尾mが「賛」「天」などの語尾nと同じくn音になった)、またngはウまたはイの音になり(「上《ジャウ》」「東《トウ》」「康《カウ》」などの語尾ウ、「平《ヘイ》」「青《セイ》」などの語尾イは、もとngである)、入声の語尾のpはフ、kはクまたはキになり、tは呉音ではチになったが、漢音ではtの発音を保存したようである(仮名ではツと書かれているが実際はtと発音したらしい)。そうして平安朝以後、漢語が次第に多く国語中に用いられたので、以上のような漢語の発音が国語の中に入り、ために、語尾における「ん」音(nと発音した。しかし後には多少変化したかも知れない)や、語尾における促音ともいうべき入声のt音が国語の音に加わるにいたった。
 (八) 漢語には、国語にないキャキュキョのごとき拗音が、ア行ヤ行ワ行以外の五十音の各行(清濁とも)にわたってあり、クヮ(kwa)クヰ[#「ヰ」は小文字](kwi「帰」「貴」などの音)クヱ[#「ヱ」は小文字](kwe「花」「化」などの音)およびグヮグヰ[#「ヰ」は小文字]グヱ[#「ヱ」は小文字]などの拗音があったが、これらは第一期まではまだ外国式の音と考えられたであろうが、平安朝以後、漢語が多く平生《へいぜい》に用いられるに従って国語の音に加
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