キ》―月夜《ツクヨ》)
オ段の仮名にあたる音がア段にあたる音に(白《シロ》―白髭《シラヒゲ》)
[#二字下げ終わり]
 エ段イ段あるいはオ段の仮名にあたる音が二つある場合には、右のごとく転ずるのはその中の一つだけであって、他の一つは転じない。(例えば、「け」に当るのは「気」の音と「祁」の音であるが、カに転ずるのは「気」の音だけで、「祁」の音は転じない。)
 しかし、右のような音のある語は常に複合語において音が転ずるのでもなく、全く転じない語もあって、その間の区別はわからない。想《おも》うにかように転ずるのは、ずっと古い時代に起った音変化の結果かと思われるが、その径路は今明らかでない。奈良朝においても、その結果だけが襲用されたもので多分に形式化したものであったろう。そうして同じ語でもこの例に従わぬ場合も多少見えるのは、このきまりが、奈良朝において既に守られなくなり始めていたことを示すものであろう。
 次に、複合する下の語の語頭音が母音一つから成る音(アイウエオ)である時、その音が上の語の語尾音と合して一音となることがある(荒磯《アライソ》―ありそ[#「り」に傍線]、尾《ヲ》の上《ウヘ》―をのへ[#「の」に傍線]、我《ワ》が家《イヘ》―わぎへ[#「ぎ」に傍線]、漕ぎ出《イ》で―こぎで[#「ぎ」に傍線])。これは、語頭の母音と語尾音の終の母音と二つの母音が並んであらわれる場合にその内の一つが脱落したので、古代語において母音がつづいてあらわれるのを避ける傾向があったことを示すものである。「にあり」「てあり」「といふ」が、「なり」「たり」「とふ」となるのも同様の現象である。「我《わ》は思《も》ふ」「我《われ》はや餓《ゑ》ぬ」など連語においても、これと同種の現象がある。かようなことは当時は比較的自由に行われたらしい。

     三 第二期の音韻

 平安朝の初から、室町時代(安士桃山時代をも含ませて)の終にいたる約八百年の間である。この間の音韻の状態を明らかにすべき根本資料としては、平安朝初期には万葉仮名で書かれたものがかなりあるが、各時代を通じては主として平仮名で書かれたものであって、この期の諸音韻は、大抵は平仮名・片仮名で代表させることが出来る。そうして、平安朝初期に作られその盛時まで世に行われた「あめつち」の頌文《しょうぶん》(四十八字)およびその後これに代って用いられ
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