、これは間違いで、「ヒ」もやはり二類であります。すなわち、『古事記』が他のものと異なる点は「モ」が二類に分れるだけでありますから、総数が一つふえて八十八類になります。これが恐らく奈良朝時代、あるいはもう少し古い時代に、互いに違ったものとして使い分けてある万葉仮名の類別の総数であろうと考えるのであります。
それから、龍麿の研究では「ヌ」が二類に分れることになっていますが、私はそうでなく「ノ」が二類になるのだと思います。「ノ」が二類に分れ、「ヌ」はただ一つだけであります。龍麿は、「ヌ」が二つで、「ノ」はただ一つであると考えたのでありますが、「ヌ」は一類であって「ノ」が二類である。結局は「ヌ」と「ノ」と合せて三類で、総数には変りない。一方の減った代りに一方でふえたのであります。『古事記』に「怒」で書いてある「野」「角」「偲」「篠」「楽」などの語は今でも「ヌ」の音と見て「ヌ」「ツヌ」「シヌブ」「シヌ」「タヌシ」と読んでおりますが、後世の言語ではこれらはみな「ノ」になっております。完了の助動詞の「ぬ」、「沼《ヌマ》」「貫《ヌク》」「主《ヌシ》」「衣《キヌ》」などの「ヌ」は「奴」の類の文字で書いて、前の「怒」の類の文字では書かず、別の類に属する。また助詞の「の」「登《ノボル》」「後《ノチ》」「殿《トノ》」などの「ノ」は「能」の類の文字を用いて、勿論《もちろん》以上の二つと別である。つまり、「怒」の類、「奴」の類、「能」の類、と三類にわかれているのでありますが、龍麿は「怒」と「奴」とを共に「ぬ」に当るものとし「能」だけを「の」に当るものとして「ぬ」に二類あるものと見たのでありますが、前申したごとく「怒」の類は平安朝以後の言語ではすべて「の」になっているのでありますから、これを「能」と共に「の」にあたるものとし、「奴」は平安朝以後も「ぬ」に当りますから、「の」が二類にわかれ「ぬ」は一類であるとする方が穏やかであろうと思います。
右の「怒」の類の仮名で書かれている「野」「角」「偲」「篠」「楽」などの諸語は、『万葉集』の訓でも古くは「の」「つの」「しのぶ」「しの」「たのし」と読んでいたのですが、江戸時代の国学者が「ぬ」「つぬ」「しぬぶ」「しぬ」「たぬし」と改めたものです。ところが「奴」の類と「能」の類とは、昔から今まで「ぬ」と「の」とに読んでいます。「怒」の類を「ぬ」と読むことにしたのは、古くは「奴」の類と同じ音であったのが、後に「の」となって「能」の類と同じ音になったと考えたからであろうと思われますが、右に述べたように、古くは「怒」の類は「奴」とも「能」とも区別せられていたので、これを「ぬ」と読んでも「の」と読んでも、その区別を表わすことは出来ません。しかし、これは他の仮名にもあることで、「こ」でも、古くは「古」の類と「許」の類とにわかれているのを、共に「こ」と読んでいるのですから、止むを得ないことですが、しかし、その場合には、「古」の類も「許」の類もこれを「こ」とよめば後世の語と一致するから、これを共に「こ」と読むのであります。「怒」の類は、後世の語ではすべて「の」になっていて「ぬ」とはなっていませんから、これを「の」とよむ方が正当と考えられます。さすれば、「能」の類もまた後世の「の」に一致しますから、「の」に当るものに「怒」の類と「能」の類と二つの類があると見るのが至当であろうと思われます。そうだとすれば、「怒」類で書いてある諸語も、「の」「つの」「しのぶ」「しの」「たのし」と読んでよいことになります。もっともこれらの語については、まだ他に多少問題になる点もあり、また、古典語として「ぬ」「つぬ」「しぬぶ」など読むこともかなり久しい慣例となっていますから、現代の読み方としては必ずしも改めなければならないこともないかも知れませんが、理論上は右のようになると思われるのであります。
なお、おのおの二類に分れている十三の仮名を五十音図に宛ててみますと、龍麿の説によると、
[#ここから二字下げて表]
ア段イ段ウ段エ段オ段[#表ここまで]
かようになって、段によって多い少ないの違いがあり、オ段に属するものが最も多く、エ段、イ段これにつぎ、ウ段はただ一つであり、ア段は全くありません。すなわちウ段には「ヌ」のほかには一つもありません。もし私のいうように「ヌ」が二類にわかれず、「ノ」が二類にわかれているとすれば、ア段とウ段とには全くなくなり、オ段はふえることになりますが、オ段は特に多いのであって、『古事記』にのみ二類に分れているのも「モ」であって、オ段に属します。かような点から見ても、「ヌ」における別とするよりも「ノ」における別とした方がよいように思われるのであります。龍麿の説はかように訂正すべきものと考えます。
三
前回は石塚龍麿《いしづかたつまろ》の研究によって、ずっと古い時代に今我々が同じ仮名であると思っているものの中に二つに分れていたものがある。すなわち十三の仮名に当る万葉仮名がおのおの二類に分れているということを申しました。もっともこの龍麿の研究には、今見ると多少間違いもあって、清音の仮名が二類にわかれているのに、これに対する濁音の仮名には二つに分れていないものがあるように認めたが、それは間違いで、十三の仮名の中において、清濁相対するものは、濁音の仮名においても、すべておのおの二類に分れている。また『古事記』においては龍麿は「チ」および「モ」の仮名がおのおの二つに分れているという考えであるが、それは間違いで、「モ」だけが二つに分れる。それで、結局ずっと古い時代において八十七類の区別があり、それだけが互いに違ったものとして使い分けられておったので、更に『古事記』においてはもう一つふえて八十八だけが違った類として考えられていたということを申したのであります。
さてこの龍麿の研究を見ますと、その中には今申した事に対する例外と認められるものが大分出ているのでありまして「何々とあるは正しからず」という風に、右のようなきまりに合わない例があげてあります。それはつまり例外なんで、二類に分れて混ずることなしと言いながらしかも例外、すなわち分れていない例がある。それもごく僅《わず》かならばまだよいが、相当の数に上っているのであります。そうすると、右の結論は正しくないのではないか、二類の別があるというのはただそう見えるだけで、厳格に言えばそんな区別がないのではないかという風にも考えられます。しかし今から見ますと、それは龍麿が見ました色々の古典の本文が間違っていて正しくないために、実際は乱れていないものが乱れているように見えたものも相当にあるのであります。無論昔のことでありますから、『万葉集』にしても寛永年間に刊行された版本を見ただけであります。これは通行本と言われているもので、江戸時代の学者は大抵そればかり見ておったのでありますが、それは相当誤字のある本で、近来ずっと古い『万葉集』の写本が大分出て来ましたが、それと比べて見ると処々字が違っている所があります。その文字を訂正すれば例外とならないものを、それが出来なかったために正しくない例が出来たものもあります。あるいはまた文法の考えが発達していなかったために、二つに分けるべきものを一つにしたために、例外としなければならなかったものもあります。例えば、カ行四段動詞の已然形と命令形は、仮名で書けば両方とも同じ「け」でありますけれども、昔の万葉仮名では、別の類の文字で書いてあって、区別すべきでありますのに、龍麿はこの二つの形を同じと考えたものでありますから、多少例外が出来て、二つの類の仮名が混じて用いられているように見えたものもあります。その他『万葉集』の通行本の訓が正しくないため、あるいは解釈が間違っていたために仮名の用法が乱れているように見えたものも沢山あるのであります。殊に『万葉集』巻十四の東歌《あずまうた》および巻二十の防人《さきもり》の歌において例外が取分け多いのでありますが、私の見る所では、これは東国の言語で、大和その他中央部とは違った田舍の言語であるがためにそういう例外が多いのであるという風に考えられるのであります。かように、特に違った地方の言語を用いたものは、全体として除外すべきものと思います。そういう風にして見て行くと、瘧Oすなわち右に述べたような仮名の区別を乱した例は非常に少なくなるのであります。絶対に一つも例外がないという訳には行かないのでありますけれども、龍麿の挙げたよりも非常に少なくなるのであります。そうして見れば、ともかく龍麿の結論は多少の訂正を加えれば、ほぼ確実であるということが出来るのでありまして、これまで誰もやらなかった、あらゆる仮名にわたって、どういう仮名とどういう仮名は同じように用いる、どういう仮名とどういう仮名は同じ場合には用いないというような、一々の仮名の用法の調査を行って、今のような結果を得たということは、非常な功績であると言わなければならぬのであります。
さて龍麿の挙げました、十三の仮名がおのおの二類に分れているものの中、「エ」に当る仮名が二類に分れていることでありますが、これは前に述べましたア行の「エ」と、ヤ行の「エ」の区別そのものであります。奧村栄実《おくむらてるざね》が研究しました、ア行の「エ」とヤ行の「エ」の区別に当るのであります。龍麿はこのエにあたる二類を、ア行の「エ」とヤ行の「エ」とであるということは言っておりませぬけれども、実例の上からして、エが二類に分れて用法上区別があるということを見出しているのであります。そうして年代から言いますと、『古言衣延弁《こげんええべん》』よりは龍麿の方が先であります。私は話の順序として『古言衣延弁』のことを前に述べましたが、実はあの方が少し後なので、発表された年月からいうとおよそ三十年も龍麿の方が前であります。得た結果から見れば『衣延弁』の方が一層進歩しておりますけれども、事実を明らかにした点においては、龍麿が既に先鞭を着けているわけであります。
さて、今の普通の仮名で書き分けることの出来ない十三の仮名がおのおの二類に分れているということは、奈良朝のものについて見ますと、前に述べたように多少例外があるのであります。その中で「ケ」の仮名については、私のこれまで見た奈良朝時代のすべての文献の中で、疑わしい例はただ二つだけしかないのであります。それは「介《ケ》」という字で書いてあるもので、「け」に当る万葉仮名は「計《ケ》」の類と「気《ケ》」の類と二つにわかれているのでありますが、『万葉集』の中に「介」という字が四回使ってあり、そのうち二回は「計《ケ》」類の仮名を用いるべき処に、二回は「気《ケ》」類の仮名を用いるべき処に用いてあるのであります。それ故「介」はどちらの類に属するかきめることが出来ないので、どちらに属するとしても二つずつの例外が出来るのであります。かように、ケの仮名は例外は少ないのでありますが、そのほかの仮名におきましては、もう少し例外が多いのであります。しかしこれらの仮名が古代の文献に用いられた例は、よほどの数でありまして、殊に「キ」の仮名などは非常に沢山用いられているのでありまして、まだ正確な数は算えませぬけれども、恐らく千以上使われていると思いますが、その中で例外が十まではないのであります。それ位の例外でありますからして、これらの例外があるということは、二類の区別があるということを否定するものではなく、全体としてやはり区別がある、ただどうかして多少|紛《まぎ》れたものがあるというだけのことであろうと思います。その紛れたのは、今我々の見ることの出来る古典においてそうでありましても、あるいはそれは古く起った写し違いというようなものであるかも知れませぬ。これをどういう風に解釈すべきかについては、色々の考え方がありましょうけれども、ともかくも今の所では絶対に例外がないということは出来ない。僅かばかりは例外があるのであります。殊にそれが仮名によって多少程度の差があるのでありまして、オ段の仮名の
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