づかたつまろ》の研究によって、ずっと古い時代に今我々が同じ仮名であると思っているものの中に二つに分れていたものがある。すなわち十三の仮名に当る万葉仮名がおのおの二類に分れているということを申しました。もっともこの龍麿の研究には、今見ると多少間違いもあって、清音の仮名が二類にわかれているのに、これに対する濁音の仮名には二つに分れていないものがあるように認めたが、それは間違いで、十三の仮名の中において、清濁相対するものは、濁音の仮名においても、すべておのおの二類に分れている。また『古事記』においては龍麿は「チ」および「モ」の仮名がおのおの二つに分れているという考えであるが、それは間違いで、「モ」だけが二つに分れる。それで、結局ずっと古い時代において八十七類の区別があり、それだけが互いに違ったものとして使い分けられておったので、更に『古事記』においてはもう一つふえて八十八だけが違った類として考えられていたということを申したのであります。
さてこの龍麿の研究を見ますと、その中には今申した事に対する例外と認められるものが大分出ているのでありまして「何々とあるは正しからず」という風に、右のような
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