よって古今の違いがあるので、今我々が濁って読む語でも昔の人は清んで読んでおった。だから、ちょっと見ると濁るべき所を濁らない文字で書いてあるように見えるけれども、そうではない。例えば、宮人を今は「みやびと」と読むけれども昔は「みやひと」である。『古事記』の中に宮人という語は清音の仮名で書いてあって、濁音の仮名で書いてあるものは一つもない。それは「みやびと」といっておったのを清音の仮名で書いたのではなく、「みやひと」と言っておったから清音の字で書いたのである。「島つ鳥」も「しまつどり」と今はよく読みますけれども『古事記』には決して濁音の仮名では書いていない。だから「しまつとり」と読んだものと認められる。清濁は古今で違うものがあるから、ちょっと見ると「しまつどり」の「ど」に当る所に清音の仮名が書いてあるから、昔は清音の仮名で濁音を書いているように見えるけれども、そうでなく、昔は清んでおったのだ。こういう考えであります。枕詞《まくらことば》の「あしびきの」は「あしびき」と読みますが、これも「あしひきの」であって「ひ」というのは皆清音の仮名で書いてある。そういうことを宣長翁が発見されたのでありま
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