》』よりは龍麿の方が先であります。私は話の順序として『古言衣延弁』のことを前に述べましたが、実はあの方が少し後なので、発表された年月からいうとおよそ三十年も龍麿の方が前であります。得た結果から見れば『衣延弁』の方が一層進歩しておりますけれども、事実を明らかにした点においては、龍麿が既に先鞭を着けているわけであります。
さて、今の普通の仮名で書き分けることの出来ない十三の仮名がおのおの二類に分れているということは、奈良朝のものについて見ますと、前に述べたように多少例外があるのであります。その中で「ケ」の仮名については、私のこれまで見た奈良朝時代のすべての文献の中で、疑わしい例はただ二つだけしかないのであります。それは「介《ケ》」という字で書いてあるもので、「け」に当る万葉仮名は「計《ケ》」の類と「気《ケ》」の類と二つにわかれているのでありますが、『万葉集』の中に「介」という字が四回使ってあり、そのうち二回は「計《ケ》」類の仮名を用いるべき処に、二回は「気《ケ》」類の仮名を用いるべき処に用いてあるのであります。それ故「介」はどちらの類に属するかきめることが出来ないので、どちらに属するとしても二つずつの例外が出来るのであります。かように、ケの仮名は例外は少ないのでありますが、そのほかの仮名におきましては、もう少し例外が多いのであります。しかしこれらの仮名が古代の文献に用いられた例は、よほどの数でありまして、殊に「キ」の仮名などは非常に沢山用いられているのでありまして、まだ正確な数は算えませぬけれども、恐らく千以上使われていると思いますが、その中で例外が十まではないのであります。それ位の例外でありますからして、これらの例外があるということは、二類の区別があるということを否定するものではなく、全体としてやはり区別がある、ただどうかして多少|紛《まぎ》れたものがあるというだけのことであろうと思います。その紛れたのは、今我々の見ることの出来る古典においてそうでありましても、あるいはそれは古く起った写し違いというようなものであるかも知れませぬ。これをどういう風に解釈すべきかについては、色々の考え方がありましょうけれども、ともかくも今の所では絶対に例外がないということは出来ない。僅かばかりは例外があるのであります。殊にそれが仮名によって多少程度の差があるのでありまして、オ段の仮名の
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