「ないという事実は、たとい一々の音がどんな音であったかということがわからなくとも、非常に大切なことであります。それは、最初に述べた通り、音の違いは言葉の意味を区別するために用いられているからであります。
かような事実を知っておくことが、古典研究の上にどんな効果を齎《もた》らすかということを、もう時間が参りましたけれども、少しばかり述べてみたいと思います。
その一は古典の本文が本によって色々になっている場合があります。『万葉集』の第七巻の中に「与曾降家類《ヨゾクダチケル》」(一〇七一番)とあって、「夜」の意味の「ヨ」に「与」の字が書いてあります。これは普通の本でありますが、古い本には「与」の字のかわりに「夜」という字が書いてある。若しこの「与」と「夜」とが同類に属するものであるならば、どちらが良いか悪いか判らないのですが、「よ」にあたる仮名には二類の区別があるのでありまして、同じヨでも「与」と「夜」とは別の類に属するのであります。それ故、どちらを使ってもよいというのではなく、どちらかが誤りでなければなりませぬ。然るに「与」は「夜」の「ヨ」とは別類の仮名で、「夜」を「与」の類の仮名で書いた例はないから「夜」と書いた方が正しいと考えられます。現にこの例は、我々が見ることの出来る非常に古い時代の写本の『万葉』には、大抵一致して「夜」の字になっておりますから、その点から見ても「夜」とある方がよいということが断定できる訳であります。それから「奈我奈家婆《ナガナケバ》」、これは『万葉集』第十五巻の最後の歌(三七八五番)にあるのですが、「ながなけば」は、お前が鳴けばという意味の言葉であります。この「家」は、他の本には「気」となっています。「家」はケの甲類に「気」は乙類に属するのでありますが、「鳴く」は四段活用で「なけば」は已然でありますから、その「け」には乙類の「気」を使った方が正しいときめることが出来ます。そういう風に、古典の本文を校定する場合に、どちらが正しいかということを判断する標準になるのであります。
それから古典の文を解釈する場合にもやはり役に立ちます。『万葉集』に「朝爾食爾《アサニケニ》」という語と「日爾異爾《ヒニケニ》」という語があります。よく似ているからこの「あさにけに」の「けに」を「日に異に」の「異《ケ》に」と同じ意味に解釈しているものもありますが、「食」と
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