述べており、駒の嘶きを「ひゝ」と写している。これは「ひ」がまだfiと発音せられた時代のものである故、それに「ヒヽ」とあるのは上の説明と矛盾するが、しかしこの文には疑いがあるのである。すなわち池田亀鑑《いけだきかん》氏の調査によれば、ここの本文が「ひゝ」とあるのは上田秋成《うえだあきなり》の校本だけであって、中村秋香《なかむらしゅうこう》の『落窪物語大成』には「ひう」とあり、伝|真淵《まぶち》自筆本には「ひと」とあり、更に九条家旧蔵本、真淵校本、千蔭《ちかげ》校本その他の諸本には皆「いう」となっている。そのいずれが原本の面目を存するものかは未だ判断し難いが、「いう」とある諸本も存する以上、これを「ひゝ」または「ひう」であると決定するのは早計であって、むしろ、現存諸本中最も書写年代の古い九条家本(室町中期の書写)その他の諸本におけるごとく、「いう」とある方が当時の音韻状態から見て正しいのであるまいかと思われる。そうして「いう」の「う」は多分現在のンのごとき音であったろうから、「いう」はヒンでなく、むしろインにあたるのである。
江戸時代に入って、鹿野武左衛門《しかのぶざえもん》の『鹿《しか
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
橋本 進吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング