く時、幼い私や弟は泣き出した……
 真夜中船が八重山沖を過ぎる頃は弟の病状も険悪になって来た。その上船火事が起って大騒ぎだった。大洋上に出た船、而かも真夜中の闇《くら》い潮の中で船火事などの起った場合の心細さ絶望的な悲しみは到底筆につくしがたい。
 ジャンジャンなる警鐘の中にいて、病弟をしっかり抱いた母はすこしも取り乱した様もなく、色を失った姉と私とを膝下にまねきよせて、一心に神仏を祷っているらしかった。
 が幸いに火事は或る一室の天井やベッドを焦したのみで大事に至らず、病弟の容体も折合って、三昼夜半の後には新領土の一角へついたのである。淋しい山に取かこまれた港は基隆《キールン》名物の濛雨におおわれて淡く、陸地にこがれて来た私達の眼前に展開され、支那のジャンクは竜頭を統べて八重山丸の舷側へ漕いで来た。
 今から二十何年前のキールンの町々は誠に淋しいじめじめした灰色の町であった。とうとうこんな遠い、離れ島に来てしまったと云う心地の中に、三昼夜半の恐ろしい大洋を乗りすてて、やっと目的の島へ辿り着いたという不安ながらも一種の喜びにみたされて上陸した私達は只子供心にも珍らしい許りであったが、こ
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