しつつわずかに私達の世話をしていた。
 土人の子の十五六のを召使っていたけれども友達はなし父母は悲しみに浸ってい、弟はなし、私と姉とは、竜眼の樹かげであそぶにも、学校へ行くにも門先へ出るにも姉妹キッと手をつないで一緒であった。県庁の中の村に私達四五人の日本人の子供の為めに整えられた教場へ五脚ばかしの机をならべて、そこへならいにゆくのにも二人は、土人の子の寮外に送り迎えされていた。全くまだ物騒であった。或夜などは城外迄土匪が来て銃声をきいた事もあった。夕方など私達が門の前で遊んでいると父は自分で出て来て、
 静も久も家へもうおはいり。かぜをひくといけないと、心配しては連れもどって下さった。厳格一方の父も気が弱った。廟をすこし修繕して畳丈け敷いたガランとした、窓只一つのくらぼったい家は子供心にも堪えられぬ淋しさをかんぜしめた。
 城壁のかげの草原には草の穂が赤く垂れ、屋根のひくい土人の家の傍には背高く黍が色づき、文旦や仏手柑や竜眼肉が町にでるころは、ここに始めての淋しい秋が来た。毎夜、城外の土人村からは、チャルメラがきこえ夜芝居――人形芝居――のドラや太鼓などが露っぽい空気を透してあわれっ
前へ 次へ
全16ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
杉田 久女 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング