目をつぶってしまった。小さな体はいたいたしく痩せおとろえて、薬ももう[#「もう」に傍点]呑んでも呑まなくてもよい様な頼みすくない容体に刻一刻おちていった。母は夜も一目も寝ず帯もとかず看護した。信《のぶ》は体を方々いたがった。母がま夜中に、このあわれな神経のたかぶった病児の寝付かぬのを静かになでつつ
 信や、くるしいかい?
と聞くと
 うん[#「うん」に傍点]。苦痛をはげしく訴えず只静かにうなずく。
 じき直りますよ。直ったらあの嘉義《ここ》へ来る途中の田の中にいた白鷺を取って上げますからね。と慰めると
 うん[#「うん」に傍点]。とまた。その頃はもう衰弱がはげしくて、口をきくのも大儀げであったがしっかり[#「しっかり」に傍点]返事していたそうである。子供心にも直り度かったと見えて死ぬ迄薬丈けは厭やといわずよく呑んだ。体温器も病気馴れた子でひとりでわきの下に挟んでいた。夕方になると、土人の家の樹に啼く梟の声は脅かす様な陰鬱の叫びを、此廃居に等《ひと》しいガラン堂の病院にひびかせ、その声は筒抜けに向うの城壁にこだまを返して異境に病む人々の悲しみをそそった。
 病苦で夢中というよりも死ぬ迄精神のたしかであった弟は、この夕方の梟の声を大層淋しがった。見も知らぬ土地に来てすぐ侘しい病室に臥した弟は只父母をたより、姉をたより、私をたより、二人の兄達を思いつつ身も魂も日一日と、死の神の手におさめられようとして、何の抵抗もし得ず、尚お骨肉の愛惜にすがり、慈母の腕に抱かれる事を、唯一の慰めとしているのであった。不慮の災いからして遂に夭折すべき運命にとらわれてしまった不幸な弟、いたわしいこの小さな魂の所有者が我儘も病苦もさして[#「さして」に傍点]訴えず、ギーギー鳴る竹の寝台に横たわっているのを見て、母はにじみ出る涙をかくしつつ弟を慰め、一日を十年の様な心持で愛撫しいとおしみつつ最後の日に近づいてゆくのであった。父は昼は病院から出勤し、夜は又病院で寝る為め私と姉とは淋しい県庁の中の家に召使とたった三人毎夜寝ていた。昼はムク[#「ムク」に傍点]の木の下に姉と行って木の実をひろい、淋しい時には姉と病院の方を眺めて歌をうたっていた。私の歯はその頃丁度ぬけ替る時で、グラグラに動いている歯が何本もあった。一生けんめい揺すっていた歯がガクリとわけなく抜けた或朝だった。病院から姉と私に早く来いとむか
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