万葉の手古奈とうなひ処女
杉田久女

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)菟名負処女《うなひをとめ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)うなひ[#「うなひ」に傍点]
−−

 或日私は沈丁花の匂ふ窓辺で万葉集をひもどいてゐる中、ふと高橋虫麿の葦屋の菟名負処女《うなひをとめ》の墓の長歌に逢着して非常な興味を覚えたのである。
 人も知る如く虫麿は、かの水江浦島子や、真間の手児名や、河内大橋を独り渡りゆく娘子等をよんで、集中異彩を放つ作家であるが、此うなひ[#「うなひ」に傍点]処女の一篇はことにあはれ深いものである。
 手を翻せば雲となり、手を覆へば雨となる、萍の如き現代人はかうした古めかしい心情を鼻先で笑ふであらうが、古典ずき万葉ずきの私にとつては、まことにうなひ処女の純情がなつかしい。
[#ここから2字下げ]
吾妹子が母に語らく、倭文手纏賤しき我が故、ますらをの争ふ見れば、生けりとも逢ふべくあれや、
ししくしろ黄泉に待たむと、隠沼のしたばへおきて、打ち嘆き妹が去ぬれば――
[#ここで字下げ終わり]
のあたり一篇の戯曲をよむ様で、息をもつかせぬ面白さである。
[#ここから2字下げ]
葦の屋のうなひ処女のおくつきを往来《ゆきく》と見れば音のみし泣かゆ。
葛飾の真間の井見れば立ちならし水汲ましけむ、手児名し思ほゆ。
[#ここで字下げ終わり]
 手児奈や、うなひ処女が死をえらんだ純情。青丹よし奈良の都の桜を愛し、萩の野趣をめで、梅花の清香をめづる万葉歌人の純情は、つねに私の詩魂を深くうたずにはおかない。
 俳句の世界にも、手古奈をよんだ句は二三あるが、かゝるふくざつな戯曲的かつとう[#「かつとう」に傍点]を、誰か優れた連作の形式でどしどし試みたら、ずゐぶん面白いものが出来はしないかと思ふ。
 私の知人である、佐藤惣之助氏門下の或若い詩人から、原始時代と現代生活との交流する詩境に創作の構成をなしてゐる、原始林[#「原始林」に傍点]といふ詩集をいつか贈られて感じた事であるが、俳句も白然描写のみでなく、又煤煙と、機械との響き丈を素材にして新しがらず、日本民族の上古、原始林の壮大さ、すべて原始時代のもつ力強さを現代生活に交流させ、現代を通じて原始を見るところの重厚悠大なきぼのものが、現れるのも一つの試みではなからうか?
 空しく籠
次へ
全2ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
杉田 久女 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング