情のリズムをあらわすのに、いかに調べが大切であるかという事がわかる。此人の素質のよさがうかがわれる句である。

[#天から2字下げ]春愁や櫛もせんなきおくれ髪  より江

 より江夫人らしい句である。
 春愁の句は、櫛でかきあげてもかきあげてもほつれおちる髪を借りて、春愁の女主人公を描き出した女らしい情緒の句である。万葉の「たけばぬれたかねば長き妹が髪」というような可憐な感じである。より江夫人の句は一体に、柔かい繊細な感情をきぬ糸のように縷々と織りこんだ句が特色である。此春愁の句など夫人の若い日の面影をほうふつとさせるものがある。

[#天から2字下げ]茸狩やゆんづる張って月既に  しづの女

 前句の調べの優雅さに比して、この句はまた張り切って強弓の如き表現である。私は茸狩というものを余りよく知らないが、あちこちと茸狩してもう帰り路でもあろうか。向いの山影から弓絃をはりきった如き月が鮮かにさしのぼった。
 月既に[#「月既に」に傍点]と、弓絃を、ふつりと切り離したように力強くいい放したところ、昂奮した作者の感興も、丁度大絃の如くはりきっている。しづのさん独得の主観のつよい句である。
 しかし初学者がもし自らの技量も個性もわすれてやたらにかかる主観を真似て作るのは甚だ危険であるから、やはり万人の辿る写生道を歩む方が無難であろう。よい主観は、絶えず自然を凝視する事によって、つちかわれる。

[#天から2字下げ]さげ髪にして床にあり風邪の妻  波津女

 淡く化粧《けわ》いさえしている若い風邪の妻は、ゴミゴミした世帯やつれの古妻の病気とは違い、清艶な感じがする。
 葵の上や、病める紫の女王が、美しく面やせて、長い黒髪をはらはらと机の上に匂わせつつ打ふしている、ろうたけた様は物語りにかかれた几張のかげの美女。これは近代の若妻で写し出される場面も全然異なっているが、若い女性の美と、黒髪というもののかもし出す匂いが、クラシック好きの私に一寸王朝の面影を感じさせる。女らしい句である。
[#地から1字上げ](「花衣」創刊号 昭和七年三月)



底本:「杉田久女随筆集」講談社文芸文庫、講談社
   2003(平成15)年6月10日第1刷発行
底本の親本:「杉田久女全集 第二巻」立風書房
   1989(平成元)年8月発行
初出:「花衣 創刊号」
   1932(昭和7)年3月
入力:杉田弘晃
校正:noriko saito
2006年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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