鶴の沢山すむという南国阿久根の里でもよし、ひろやかな、木深い幽苑を想像してもよい。一羽の鶴が春水をしずかにうごかしつつ一歩毎に足を高くぬいては佇み、又おもむろに歩む。水輪のかげがなごやかにあたりのものに揺れうつるという様な景であろう。
立子さんの独楽の句にみる如き溌溂としたものはないが、気品の高い鷹揚な鶴の姿も、春水の感じとよく調和して、おおらかな老巧な句風である。
[#天から2字下げ]青簾くらきをこのみ住ひけり 多佳女
大阪も住吉あたりの、青簾をかけわたしたほのぐらい家の内を、ものなつかしくも思いつつ趣味びたりで住んでいる佳人をえがいてごらんなさい。光源氏の君ならずとも、つい垣ま見たくもなるであろう。
小倉でそだった多佳女さん。白牡丹か桜のような此婦人に、青簾のくらきをこのむ心境のふかさと落付きを見出しえた事は嬉しい。
[#天から2字下げ]陽炎のまつはる足を運びけり 妙子
明るい真昼の草の上。そこら一面ゆらゆらともえている陽炎が一歩一歩歩みを運ぶ度に足にもすそ[#「もすそ」に傍点]にからみつく。もしそれ此脚に重心をおいて、描いて見るならば、女鹿のようにすんなりした脚の、裸体の女性を、柔らかい曲線と美しい透った色調で明るいグリーンの草と、光り、陽炎の中に彫刻的に歩み佇たせて一幅の油画ともなろう。
陽炎のまつわる足という表現が陽炎の特性をよく把握している。
[#天から2字下げ]春暁やあとさきもなき夢の橋 妙子
ぼうっとしてそれこそ、ばら色の靄でもかかっている様な、春暁のねむりの中に、ほっかりと七彩の夢の浮橋があとさきもなくかかっている。そこに曙の精[#「曙の精」に傍点]とよばるる女神が裳をひいて佇みつつある。
春の曙のとりとめもない夢というものを、メーテルリンクの象徴劇のよう、取扱っているのは面白い。大体、夢をフロイド式に分析すればこむつかしい意味もあろうが、詩中の夢の世界には、何の理屈も聯絡もない、写生万能時代には空想的でめずらしく象徴の匂いがある。
[#天から2字下げ]木彫雛さくらの花をまゐりたれ てい子
この句はかつてホトトギスで評された句で、今更ここに多言する必要もあるまい。好みの高い木彫雛に桜の花をまいりたれ[#「まいりたれ」に傍点]という、清純な取材なり感情の息吹が高いしらべとなって、内容の美しさを深めている。感
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