つつある現状から、も一歩現代女流俳句がどんな所まで進み来たったかという事を、世人に知らしめたいものである。
 エジプトやギリシャの古典が研究される一方、近代的な芸術が是非我々に必要である如く、現代人には近代女流俳句の息吹をも少し理解せしめたい。
 ともかくも女流俳人が全国的にひたすら堅実な歩みを続けてゆく努力は、やがて純正な女流俳句の金字塔を築きあげる永遠の礎ともなり、女流俳句の位置を高め、必らず完成の域へ到達すべき事を、私は確信するものである。
 どうか一丸となって、わが大正昭和の女流俳句を永遠に光輝あらしめたい。
 近代女流俳句というものの真価を識者にいささかでも認めて頂きたい。
 私が、未熟な自分自身をも顧ず、古今の俳句の本を少しばかりあつめ、対比研究して見る心持になったのも、そんな事を日頃から痛感している為めであった。
 而し私の一方ならぬ多忙と浅学、専門的に系統だった研究考察は到底覚束ないが、ただ古今の句を比較して毎号素人らしい研究をつづけて見たく思っている。
 他日何人かの女流俳句研究の資料にでもなれば、それで私の小さい希望は足るのである。
 さて、
 花のさかりも近づいた
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