かしれぬが(玉藻集は蕪村編ではなく死後門弟の編輯したものであるとの説もあるが左様なせんさくは茲では一切しない)、これでは格別山桜の景色もういてこず、時代を超越しての価値もない様だ。

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是でこそ命おしけれ山桜  智月
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 智月の前二句の叙景句に比べると此句は美しい山桜の咲いているのを眺めてこれでこそ命はおしいもの。長いきは有がたいもの。何だか智月おばあさんのこんな繰言を聞いている様で、何の詩感も味う事が出来ない。

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入相の鐘にやせるか山桜  智月
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 山寺の鐘のねにさそわれて花のおびただしく散りいそぐ梢の有様を鐘にやせるかと主観的に形容したところ。美の把握が不足し、感興の燃焼がまだ充分とぎ出されていないので、浅い句となっている。

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遠山に見えゐし花も散りにけり
さしながら早くも散るや山桜  和香女
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 山づとに折りとってきたのか、山桜の花をさしている。その膝に、畳に、はらはらと早くもちりかかる花びらのつつましさ、嫩葉の色。山桜でこそ一層なつかしく感じられる。朝夕遠山の木の間に眺めくらした桜もいつしか散ってしまい嫩葉の色がもえ出した晩春の眺め。いずれも山桜の特性を写した句で、りん女の句より、ずっと感じが深い。元禄天明の古句が、山桜に他のものを配して一句を構成しているのに比し近代の此二句はただ山桜そのものの美しさなり実相を写生しているところに、差違がある。

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木樵より他に人なし遅桜  多代女
みささぎや松の木の間の遅桜  砧女
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 多代女の句にはまだ一幅の絵としても描き足らぬ力弱さがあるが。一方山陵の多いい堺地方にすむ作者は、翠岱の木の間をつづる遅桜を描いて、晩春の詣でる人も少いみささぎの森厳な空気をよく出している。

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逢坂の関ふきもどせ花の風  すて女
女とていかにあなどる花の風  簪
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 簪はたしか遊女だった様記憶する。女とていかにあなどる[#「女とていかにあなどる」に傍点]という所。圧迫されつづけた封建時代の、しかも特殊階級の籠の鳥たる日頃のうっぷんが此句に迸しっている。花風に裳をけ返しつつからかい気味の好き者共を尻目にかけ、柳眉をあげている、おきゃんな女性。女であるため[#「女であるため」に傍点]に二言目には「女なんか[#「女なんか」に傍点]」と侮られ、軽く扱われるのは昔も今も変りはない。しかし簪の心境は別として此句は、花の風[#「花の風」に傍点]が比喩の様にもきこえ、又主観もろこつ過ぎて何等詩的な感興をひき起こさない。すて女の逢坂の関吹きもどせもほんの興味丈の浅い句風の様私は思う。

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花の風なげひろげたる筵かな  ひろ女
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 同じ花の風乍らこの近代句は、主観を弄さずただ光景を写生している。花かげに投げひろげた花見筵にも大地にもたまたま颯と花の風が吹きおろせば花片は吹雪の如く一しきりそこら一面をましろくなす。時には小つむじが起って落花をしきりにうずまき移るという様な光景である。昔の二句と比較してこの句の方が遙かに花の風というものを如実にうつし出している。

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夜嵐や太閤様のさくら狩  その女
ちぎれおつ牡丹桜の風雨かな  沼菽女
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 閨中の美女をあつめて豪華をつくした太閤の桜狩も、花の盛りも一夜の嵐にむなしくなったと詠じたものか、すきものの太閤を諷したものか。よく判らぬが、兎に角桜花のらん漫たる感じは、桃山芸術を生み出した豊太閤の豪華な印象より他に比肩すべきものはない。大時代な句として面白くも覚える。一方、烈しい風雨にもまれてま盛りの牡丹桜の花房が、ぽたぽたとちぎれ飛びおつ、妖艶さ、美しいものの傷き易さ。花一房の風情を目に見る様に描き出した近代句と比較して取材表現共に時代の距離を味いたい。元禄時代の句が夜嵐や太閤様を配してさくら狩を構成しているのに反し、現代の句は牡丹桜そのものの風雨にもまるる有様を直叙している。

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花疲れたうべともなき夕餉かな  八千女
窓下に座りくづれて花疲れ  喜美子
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 花疲れなどいう題は、享楽的な元禄の女性にありそうでいて案外近代女流のものらしい。ひねもすの刺激と歓楽につかれて花衣もぬぎあえず、夕餉さえたうべたくもなく窓下に座りくずれて、尚もゆめの名残を追想しているかの如き、夕ぐれの中のほお白いかおばせ。

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土手につく花見づかれの片手かな  より江
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 土手草に
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