植物の美しさにみとれ、或は地上の落葉のいろいろに目を転じつつ一歩々々とよじ登ってゆく。こうした山中の体験の楽しさに二度三度と案内しった同じ山へ幾度も私は魅せられるように登って見た。だがさすがに呑気な其私も、十一月はじめ只ひとりで英彦へ登った時にはいささか閉口した。
山上の紅葉はもう散ってしまっていたので、登山客は殆どなく、その日の正午大鳥居で自動車を下りたものはたった私一人だった。いつもの通り奉幣殿上のくらい杉木立にさしかかった時には、どういうものか、女一人で、人気もない山道を登ってゆくのはあんまり大胆な、とつい気後れがし出すと、坂の中途で行ったりかえったり、立ちすくんでしまった。ぶきみな無人の静寂。深山の精といった感じがひしひし私を威圧する。思わずたじたじと十歩程もと来た方へ下りかけた私は、いや待て、折角ここ迄きて、上宮へのぼらず帰るのは残念だ。登ろう! こう心中に叫んで、祈願をこめつつ重い足をひいてよじ出した。三四丁こわいまぎれにとっとと上るとふいに頭上の木立のあたりから人間の笑い声がきこえてくる。急に元気が出て歩み出すと、下りてくる若い夫婦者に出逢った。その時の路傍の人のなつかしさ嬉しさ。お互に笑顔と声をかけあって、直また上下に別れたが、不思議にそれからは元気が出て、一と息にどんどん登る事が出来たが絶頂で禰宜にあう時迄は遂に一人にもあわなかった。深い落葉の道をさっささっさと歩みつづけた。中宮附近迄はまだ紅葉がのこっていた。もう何の怖ろしさもなくいつものような澄みきった心境で深山の大気を自由に呼吸することが出来た。
絶頂にたどりつくと、禰宜が出てきて、「よくお孤りでお登りでしたね。あなたで今日は朝から十人目です」という。神前にはまだ四五枚の紅葉が残っていたが、見渡す谷も南岳も北岳も悉く枯木の眺めとなってその上に、灰色の初冬の山々がつらなり遥かに九州アルプスの盟主久住が初雪をかぶってそびえているのを見出した時、私の心は急にはちきれる程の嬉しさでおどり上った。禰宜は雲仙を指し阿蘇を教えてくれた。お台場の如き偉大なあその外輪山をその噴煙をはるかに英彦の絶頂からはじめて眺めえた時の喜び! そして根子岳も、霧島も全九州の名山を悉く今日こそはじめて完全に眺めえた興奮に、私の幽うつや不安は皆けし飛んでしまった。
上宮ではつい二三日前に初雪が降ったと、禰宜は私を霧囲いの傍
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