堯舜禹のことは孔子が堯を天に譬へしに徴せば、今日傳へらるゝが如き堯は孔子時代にも知られしなるべく、又『詩經』の時代にも知られし也。次に十二宮、二十八宿の中の星の名は『詩經』に見え、陰陽の思想は『詩經』になく『論語』にも見當らざれども、これらのものに發見せられずとて全然之を否認するは不合理なり。されば他の事實より類推して之も亦同時代のものとするを得んか。然らばこれらの思想智識は春秋時代に於いて孔子時代以前に存せしは明也。されど禹貢の九州が荊州即ち楚の地を含めるに見、一方この地方の知られたるは春秋時代なるに見ば、兎に角周時代まで泝らせ得べきには非ざる也。
 もしこの臆説を眞とせば、次に考ふべきはこの思想は支那本來のものなりや、はた外來のものなりやの問題なり。思ふに陰陽及び天地人三才の思想はカルデアにもアッシリアにも存し、イラン民族に起りしゾロアスターの教は、陰神陽神を設けてその世界觀を説きたり。印度にては三才の思想は梨倶吠陀《リグヴェーダ》に存し、佛教の眞如と無明とは陰陽思想の變形なり。この思想はアリアン及びセミチック種に著きが如し。而して二十八宿は印度にては二十七宿[#ここから割り注] 初めは二十八宿なりし也、ナクシヤトラといふ [#割り注終わり]にして、アラビアにては二十八宿なり。この類似は三者偶發的とするよりも、同一起源に基けるものと考ふるを至當とす。その起源に就きては、從來之れが研究に從へる西人の間に考説の區々なるありと雖、とまれセミチック族に起りしものならん。支那より西方に移り行きしものとは考ふる能はず。而してラッセンによれば二十八宿の印度に入りしは、西紀前一一五〇年頃ならんと。その眞僞は明ならざれども、支那に入れるもその前後なるべきか。二十八宿が西方より來れるを推するは、後世の支那歴史の大勢を通觀して歸納せらるゝ所、又西方との交通が比較的夙に行はれしことは、禹貢に流沙、弱水等今の新疆省の地域をいへるによりても旁證せらるべし。現に日を十二時に分つことも、五星[#ここから割り注] 土星を尚んで中央にする [#割り注終わり]の思想もアッシリアより支那に入り來れるもの也。
 五星によりて五行思想起り、易は伏羲、神農、黄帝、堯、舜の五帝を作りて、黄帝を堯の前におきたり。『書經』は堯以前につきては何事も載せざるに、後に至りて黄帝をその以前に存せりとするは、偶※[#二の字
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